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笑福亭笑瓶の編集履歴

2023-06-29 18:14:46 バージョン

笑福亭笑瓶

しょうふくていしょうへい

落語家、お笑いタレント。笑福亭鶴瓶の弟子としても知られる。(1956~2023)

概要

落語家、レポーター、リアクション芸人。笑福亭鶴瓶の一番弟子。本名:渡士洋(とし・ひろし)。

1956年11月7日生まれ、大阪府出身。


モノマネやリアクションで知られるが、1972年から半年間スクールメイツに所属。


当時のトレンドだった長髪にベルボトムジーンズと言ういでたちの写真も残っており、バラエテイ番組でその内の数枚が公表され、爆笑を誘った。


れっきとした笑福亭一門の落語家のはずだが、師匠の鶴瓶自身が当時落語を殆どやらなかったのにもかかわらず、「僕も落語する気ないですから」と返答して弟子入りした。

とは言え、大師匠・6代目笑福亭松鶴からは一門として認められていた。後に師が落語に関わる仕事を増やした結果、自身も落語をせざるを得なくなった。なお、高座にかける噺は殆どが新作落語である。


単にお笑いタレントであった弟子「笑助」も笑福亭の亭号を貰い落語家となったが、若い分弟子の方がより柔軟に落語家への転向が進んでいったようである。なお、一門の多くが松竹芸能に所属する中、自身は松竹芸能を経て太田プロダクション、弟子の笑助は吉本興業に所属している。自身が弟子に教えられることは限られるためか、噺は専ら吉本所属の古典落語家4代目林家染丸に学ばせているとか。


もっとも、師匠や一門の他の者と全く共演しないかと言えばそうでもなく、讀賣テレビ放送のローカル番組「大阪ほんわかテレビ」では師匠・鶴瓶の一番上の兄弟子、3代目仁鶴と長らく共演している。


2015年の年末、ゴルフ中に胸の痛みを訴えドクターヘリで搬送され、一命をとりとめるという九死に一生の経験をしている。後に出演した番組で急性大動脈解離であったことを語っている。

それから8年後の2023年2月21日、自宅で再び急性大動脈解離となり救急搬送されるが、翌22日午前に家族や師である鶴瓶が見守る中、帰らぬ人となった。満66歳没。


死去後、1991年からリポーターとしてレギュラー出演していたTBSテレビ(現在はBS-TBSに移行)情報番組『噂の!東京マガジン』では同月26日放送分の内容を変更し、笑瓶のこれまでを振り返るVTR映像による追悼番組を放送した。



関連タグ

ショウヘイヘーイ

花村よし子(魔法使いサリー)…よく物まねをするキャラ。加藤みどり寄り。

Mr.CONTAC…総合風邪薬コンタックのマスコットキャラクターの声を担当していた。

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