天城(巡洋戦艦)
あまぎ
日本海軍の未成巡洋戦艦の1隻
いわゆる「八八艦隊」の一部を成す艦であり、戦艦陸奥・加賀・軽巡洋艦球磨型らと同時に「八四艦隊案」として1917年に国会で予算承認された。
常備排水量41,200トンの大型の船体に長門型戦艦と同じ41センチ主砲を、長門型より1基多い5基10門積み、速力は30ノット、しかも装甲も長門型よりも厚かった。つまり、巡洋戦艦というのは海軍内の類別だけで、実質は高速戦艦というべきものだった。
同型艦に、赤城・高雄・愛宕が予定されていた。また、八八艦隊の戦艦の後期4隻のいわゆる紀伊型も準同型艦となるはずだったと言われている。
しかし、建造途中で行われたワシントン海軍軍縮条約により、未完成の戦艦・巡洋戦艦は全て廃棄されることとなり、天城もその一部に含まれていた。ただし廃棄艦のうち2隻は空母に改造することが条約で認められていたため、赤城と共に空母として復活するところだったが、関東大震災で船台から外れて破損し、そのまま廃艦となった。代わりに加賀が空母となった。
廃棄された建造途中の船体は浮き桟橋(ポンツーン)として横須賀で戦前・戦後と長く使われ、2014年現在、IHI(現JMU)に払い下げられてまだ現役である。
なおこの桟橋がある磯子工場にて、2015年にかがの進水式が行われた。
姉妹艦のうち、赤城は空母赤城となった。残り2隻は艦名のみ、のちの高雄型重巡洋艦に流用されている(高雄・愛宕)。天城の艦名も、のちの雲龍型空母の1隻に再使用された。