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勧修寺晴秀の編集履歴

2023-08-23 21:40:02 バージョン

勧修寺晴秀

かじゅうじはるひで

勧修寺晴秀とは戦国時代から安土桃山時代の公卿。

概要

勧修寺尹豊の子、官位は正二位、権大納言、死後左大臣後陽成天皇の外祖父。


プロフィール

時代戦国時代安土桃山時代
生誕大永3年(1523年)
死没天正5年1月1日(1577年1月19日
官位正二位、権大納言
主君後柏原天皇後奈良天皇正親町天皇
氏族勧修寺家
父母 父:勧修寺尹豊、母:伊勢貞遠の娘
粟屋元子(粟屋元隆の娘)
晴豊晴子充房、日袖、正親町三条公仲

経歴

大永4年(1524年)に従五位下、左衛門佐・蔵人・弁官・蔵人頭となり天文19年(1550年)に正四位上、参議となる。同年に従三位・正三位に進み天文24年(1555年)に権中納言、後に武家伝奏、天正元年(1573年)に権大納言、天正5年(1577年)に死去。死後に内大臣、後に左大臣が贈られた。


人物

晴秀公記という日記がある。


外部リンク

勧修寺晴秀 - Wikipedia


関連タグ

公家 戦国時代 安土桃山時代 勧修寺家

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