徳川御三家
とくがわごさんけ
徳川御三家とは徳川家の分家。
とくがわごさんけ
一般的には上記三家のことを「徳川御三家」と定義されているが、江戸初期のころは尾張・紀州と2代将軍秀忠の次男である忠長の駿河55万石を加えて御三家とされ、水戸家は同母兄である紀州家の分家とされていた。また忠長の改易・自刃により駿河家が取り潰された後も、三代将軍家光の次男綱重の甲府25万石、三男綱吉の館林25万石が存在したため、水戸家が格上げされたのは甲府家の2代当主綱豊が5代将軍となった綱吉の養子となって消滅した後とされている。