徳川頼房
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とくがわよりふさ
徳川頼房とは江戸時代初期の大名。
1609(慶長14)年に常陸水戸25万石を与えられたが、まだ6歳だったため父家康の下で育てられた(初めて水戸へ赴いたのは1619(元和5)年)。また1636(寛文13)年までは、同母兄の頼宣の分家扱いだったため、松平姓を名乗りとしていた。
以後も江戸にで過ごすことが多かったが、これは長兄(家康の長男、次男はすでに亡くなっていた)である秀忠が、頼房の1歳下である嫡男の竹千代に対する相談役としたとする説がある。事実、1625(寛永2)年から30(寛永7)年までは水戸での政務にあたったが、31(寛永8)年から秀忠が病気がちになり家光の親政が始まると、家光が亡くなる51年(慶安4)年までに水戸で政務をとった年はわずか3年に減っている。そのことから家光が頼房を深く信頼しているとされ、また手紙でも「心安く思いなんでも相談したい」「兄弟はいても役に立たないので、兄弟同然に思っている」と記している(同母弟の忠長とは険悪、異母弟の保科正之とはほぼ初対面だったころ)。
このような前例から代々の水戸藩主が、江戸に常府することが基本となった。
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