サンスクリット語では「ヴィディヤ・ラージャ」、これを訳して明王という。
ヴィディヤは知識や学問を意味し、同じく知識を意味する『ヴェーダ』とも関連ある語である。
ヒンドゥー教のヴェーダが神話だけでなく呪文と祭式を記した文献であるのと同様、
明王たちが司るヴィディヤもまた「呪」としての一面を持ち、明王たちは
密教の様々な儀式で重要な役割を担う。
顕教経典には登場しないが、不動明王のように和讃や在家用の勤行方法がつくられ、
一般の老若男女に広く信仰されている尊格もいる。
彼らは如来たちの化身とされたり、使者であるとされる。
明王と如来を一体とする解釈においては、明王を仏の「教令輪身」と呼ぶ。
明王たちはみな恐ろしい姿と憤怒の形相をしているが、
これは仏教に敵対的なものを威圧し打倒するためのものであり、
煩悩や邪悪に対する厳格な態度をあらわしたものでもある。
唯一の例外が孔雀明王であり、優雅な姿で女性的な柔和な表情をしている。