概要
修行の果てに悟りを開き、輪廻を脱出した存在。
阿含経典『多界経』(パーリ中部第115経、漢訳では『中阿含経』第181経、『四品法門経』が対応)では世界に同時に二人の正等覚者は現れないとされる。
阿含経典のみを経典とする部派仏教も釈迦以外のブッダの存在を認めているが、それぞれ違う時代に現れた覚者としている。
釈迦を含む最新の七人「過去七仏」が有名だが、それ以前にもブッダは居たとされる。そして未来にも現れるとされ、この世界で次にブッダになるのは弥勒菩薩だと予言されている。
大乗仏教ではさらに阿弥陀如来など数多くの仏たちの存在が語られるようになった。
大乗仏教も阿含経典を聖典(お経)として引き継いでおり、「世界(単数形)に二人の正等覚者は現れない」も事実とする。そのため同時期に存在する仏の増加は仏が存在する世界の増加を伴うことになった。
大乗仏教において「一世界一仏(一つの世界に仏は一人)」とは「多世界多仏(多くの世界にそれぞれ仏が居り、それ故人数も多い)」と同義である。
一人の仏が教化する範囲の世界を「仏国土」という。そのうち清浄な救済の場として成立しているものを「浄土」という。
六道輪廻とは別のカテゴリであり、六道は仏国土(世界)と重なり合うように存在する。釈迦が教化するこの世界は「娑婆(サハー)」国土といい、同時に我々が住むこの世界を指すが、この娑婆世界には六道が全てある。
一方、浄土には六道のうち、地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が存在していない。
高位の神仏なら仏国土間の移動も可能とされる。それぞれ浄土を構える如来たちは、成仏した後も衆生を悟りへと導こうと活動し、サハー国土にも菩薩たちや自分の化身を遣わしているとされる。
大乗経典には極楽往生などの「浄土信仰」を説くものがあり、信心や修行によってその資格を得た者は死後、それぞれの仏が主宰する浄土に招かれ、そこの住人として転生することになる。
如来十号
阿羅漢や菩薩と異なり、如来は十の称号を持つ。
これは阿含経からの伝統である。
・尊敬されるべき人、供養に値する者(阿羅漢)
・完全な悟りを開いた者(正等覚者)
・明智と行いを備えた者(明行足)
・幸せなる者(善逝)
・世間を理解する者(世間解)
・衆生を訓練する者(調御丈夫)
・無上の者(無上士)
・人類と神々の師(天人師)
・尊師(世尊)
さとりを開いたとされる仏弟子なども「阿羅漢」と言われるが、
彼らのような通常の阿羅漢が他の如来十号で呼ばれることはない。