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金貨の編集履歴

2023-11-07 08:35:18 バージョン

金貨

きんか

金貨とは金で作られた硬貨である。

曖昧さ回避

  1. 製の硬貨のこと⇒本項で解説
  2. タロット小アルカナの一つ⇒小アルカナの項目を参照

概要

金で作られている硬貨の事であり銅貨銀貨などと比べて高い価値を有する硬貨である。


銀貨、銅貨にも言える事であるが現代では通貨というものが国々によって存在し、

紙幣というものが高額な通貨として流通しており硬貨はあまり高い価値を持っていないことが多い。

如かしながら昔は通貨といえば金貨、銀貨、銅貨などのように硬貨を用いるのが普通であった。


この理由としては異なる国では紙幣というものが紙屑同然となる事が多い為である。


一方で硬貨は元々金属で作られているため喩え他国のものであっても鋳つぶせば金属として価値を有する為、

別の国のものであっても相応の価値があったわけである。


現在でもインフレなどで紙幣が紙屑同然になる事が多いのを見れば上の例は納得出来ると思う。


の精練方法が発見されるまでは金貨は銀貨よりも価値が低かったが、

銀の精練方法が発見された後は金貨の方が価値が高くなり今ではかなり差が開いた、といえよう。


日々金の値段は変動しているが金は2023年秋時点でおよそ1gで1万円近くする為、

数gの金貨であったとしても純金であれば数万という価値になる事になる。


しかしながら金は純正であれば柔らかいため流通に不便であるため

大体の場合は銀やなどが10%ほど混ぜられることになる。


現代では金貨というものが製造される場合は極めて特殊な例であることが多く

金貨という価値の高い物の性質上本来の価値より高い金額で販売し低い額面であることが多い。


ファンタジーなどでは現役の通貨として登場する事が多い。

一応銀との価値の差を考えるなら、金貨1枚=銀貨10枚程度で設定するとバランスが良くなる。

また、銀との自然合金であるエレクトラムの貨幣が登場するTRPGのゲームシステムも存在する。


史実の金銀比価

史実において金銀比価は以下の通りである。

上記の『金貨1枚で銀が10枚』と言う時代も実際にあったが、貨幣制度の大整備の時期には記録が残り易く、尚且つ例示されている徳川家康やナポレオンの貨幣制度は半世紀以上に渡って維持された当時の実情に上手く合致した例である。

無論、金銀複本位制を取っているにも拘らず、実売価格が乖離していれば良貨が退蔵されて更に公定価格と実売価格の差が広がる事も有り得る。

1771年の英国でアイザック・ニュートンによるギニー金貨=21シリングと設定した際には、実売価格より金高銀安に設定した為に、イギリスに金が、フランスに銀が流れ、徳川家慶が天保一分銀を大増産した結果、金銀比価が金安銀高になり日米修好通商条約締結後に日本国内の金が大流出してしまったように実価格と公定価格を間違えた結果、経済混乱を引き起こした事例もある。


紀元79年のローマ帝国

ローマ帝国の地中海世界統一とネロ帝の属州宥和政策で物価が安定した時代の金銀比価が以下の通り。ネロによる貨幣流通量の増大に加え、中東のパルティア帝国との平和条約締結で外征が激減した時代で、ポンペイ遺跡から詳細な家計簿なども発掘されている。

ネロ・アウレウス金貨が量目7.3g、純度99%

ネロ・デナリウス銀貨が量目3.3g、純度94.5%

で金貨1枚が銀貨25枚で金銀比価は11。

デナリウス銀貨で安めの小麦8.6kgを購入可能。


紀元1605年の日本

徳川家康が江戸に幕府を開いて、組織的な金貨と銀貨の製造を発注し始めた頃の金銀比価が以下の通り。この時代は灰吹き法の改良やアマルガム抽出の拡大で、低品位鉱石からの金銀の抽出が容易になり、金銀比価が低かった中国への銀の輸出と金の輸入で日本とスペインには大量の金の流入が起きていた。

慶長小判初期型が量目17.8g、純度84.6%

慶長銀が純度80%

で慶長小判1枚が慶長銀50匁(=187.5g)で金銀比価は10。

当時は慶長銀10匁で米1石が買えたが、金銀の民間への流出量増大と食料流通の改善で15年で米一石が慶長銀30匁と3倍に米価が上昇。


紀元1803年のフランス帝国

ナポレオン・ボナパルトフランス皇帝に選出され、貨幣制度の大整備を行った時期の金銀比価が以下の通り。

ナポレオン金貨が量目6.45g、純度90%

1フラン銀貨が5g、純度90%

でナポレオン金貨が20フランとされたので、金銀比価は15.5。

当時、安物のパン3kgが1フラン程度。

この金銀比価は1873年のフランスの金本位制への完全移行までラテン通貨同盟参加国のフランス、スイス、ベルギー、イタリアとラテン通貨同盟に合わせて通貨発行を調整していたオーストリアの各国によって何とか維持されてきた。


紀元1887年の大日本帝国

19世紀末になって電気精錬法が銅や亜鉛、鉛の精錬に多用されるようになり、その副産物として回収された結果、銀価格が暴落した時期の金銀比価が以下の通り

新10円金貨が量目8.3g、純度90%

1円銀貨が量目26.9g、純度90%

1円銀貨はこの時を持って正貨としての価値を失い、単なる銀塊扱いとなったが、この時点での金銀比価は32.4。

当時、60kg入りの米俵1俵が4円程度。

逆に言うと、発電所の大規模建設と電気化学の大規模産業化が進まないと、此処までの金銀比価にはならないと考えられる。



金銀では比重が1.8倍以上も違うので、似た大きさの金貨と銀貨を比べると、「金貨1枚で銀貨20~30枚の価値」ぐらいになってしまう。



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gold coin

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