概要
父は藤原仲麻呂、母は藤原宇比良古(藤原房前の娘)、官位は従四位下、参議。
経歴
天平宝字2年(758年)に東海東山道問民苦使となり同年に従五位下となる。後に美濃守、大和守を経て天平宝字6年(762年)に参議に就任した。天平宝字8年(764年)に起きた藤原仲麻呂の乱では孝謙上皇の命で少納言山村王が淳仁天皇の中宮院から駅鈴を奪われる事態が発生し仲麻呂の命によって駅鈴を取り戻すが上皇の側の授刀衛の坂上苅田麻呂と道嶋嶋足に射殺された。
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