官職としての少納言の概要
律令制の太政官の役職の一つ。和訓は「すないものもうし」、唐名は「給事中(きゅうじちゅう)」。
律令制における官人は、諸属する官庁において、四等官の制度に従った官職が与えられた。
「太政官」は律令制の政府において中枢機関であり、現代の内閣府に相当する。太政官における四等官は、かみ(長官)、すけ(次官)、さかん(判官)、じょう(主典)となるが、少納言は三等官の「さかん」に相当する。
太政官の「かみ(長官)」は、左右大臣で、国政の最高官職で、現代の内閣総理大臣に相当する。「すけ(次官)」は、大納言、中納言、(令外官の)参議で、三等官である「さかん」としては、少納言、左右大弁、左右中弁、左右小弁が置かれた。
このなかで、少納言職はもっとも古いが、平安時代盛期の律令制のなかでは、太政官の三等官としては、もっとも位が低い実務官職であった。
- 一等官である、左大臣・右大臣の官位は、通常は、正従二位である。
- 二等官である、大納言・中納言は、通常は、正三位、従三位である。
- 三等官である、左右大弁、左右中弁、左右小弁は、通常は、大弁が従四位上、中弁が正五位上、小弁が正五位下相当である。しかし、少納言は、従五位下が通常で、従五位下は、殿上人としては最低の官位となる。地方官の国司の官位が一般に従五位下となるので、太政官のなかでは、下級の実務官僚である。
大納言・中納言・少納言と並べると、中納言の次に来る官職のように思えるが、実際は、大納言・中納言・大中小弁官・少納言となり、少納言は、「納言」とはいうものの、大納言や中納言に比べ、遙か下位の官職である。(大納言、中納言、参議は、左右大臣を筆頭に、律令制政府の閣僚で、内閣を構成していた)。
なお、太政官の「四等官(じょう)」である左右大史・左右少史は、殿上人ではない(六位、七位相当)。殿上人は、天皇が普段住んでいる清涼殿の「殿上の間」に入ること(昇殿)を許可された官人のことで、五位以上の官位の者が相当する。「貴族」と呼ばれるのは、この昇殿の資格を持つ殿上人である。
官職としての少納言の役割
太政官三局の一つである「少納言局」の長で、主に天皇の命を臣下に宣したり臣下の意見を天皇に奏した役割の他に駅鈴、内印などの管理を司った。
なお、「納言」とは古代中国で、天子の言葉・命令(宣下)を臣下に伝えたり、臣下の言葉・報告(上奏)を天子に伝える役割をした官人である。
女房名としての少納言
少納言の名を持つ女房は歴史的に多数存在し、フィクションにおいても多数存在する。実在した少納言という女房で、著名なのは、清少納言であるが、彼女は、清原という歌人の一族出身であったので、「清原の少納言」であったが、略して「清少納言」と呼ばれる。フィクションの少納言としては、『源氏物語』に登場する紫の上の側近の女房である少納言が知られる。
なお「女房」には、「妻」という意味があるが、平安時代の宮中や貴族に仕えた上級の使用人・侍女が、女房と呼ばれた。
女房名としては、清少納言の例のように律令制の官職名を使う場合の他に、出身地などの国名を使う場合、好ましい植物・花などの名を使った例がある。官職名の女房の名は、当事者の近親者(父親、兄弟等)に、その官職についた者がいて、その官職名を名乗ったという場合もある。しかし、官職名を使う女房名には、当該人物の出身階層・身分などに応じて、それに相応しい女房名が暗黙のうちに決まっており、上級貴族出身の女房には、「大納言の君」「中納言の君」などが付けられ、下級貴族出身の女房には、「弁の君」「少納言の君」「式部の君」などの名が付けられた。
「弁の君は」、小弁クラスの正五位下の家柄出身の者、「式部の君」は、式部丞(正六位下相当)の家柄出身の者である。このように、出身階級に応じて女房名が決まっていたので、当事者の身分階級に属する父祖や兄弟には、相応する官職や官位の者がいた。