近衛府とは
天平神護元年(765年)、授刀衛(じゅとうえい)を改編して成立した令外官としておかれ、大同2年(807年)、近衛府・中衛府をそれぞれ左近衛府・右近衛府に改称。「近衛大将」、「近衛中将」、「近衛少将」、「将監」、「将曹」などで構成され、近衛舎人400人(後に600人)を統括した。創設当初は天皇の親衛隊として、禁中の警衛などの軍事・警察的活動を主に行った。
9世紀末から10世紀にかけて行われた儀礼体系の転換により、軍事・警察的機能は失われて宮廷儀礼における馬芸・楽舞などを披露する儀礼演出機関となり、これらの軍事・警察的機能は「北面の武士」や地方から宮中を警護するために集められた武士に引き継がれた。
- 近衛大将…左右近衛府の長官として朝廷の治安を維持する役職。名誉職としての色彩が濃く大臣に出世するためのルートとして、貴族の垂涎の的となった。摂政・関白に就くことができる摂関家、太政大臣職に就くことができる清華家の中から選ばれることが多かったが、当代の実力者である平重盛、源頼朝、織田信長、徳川家康らが任じられたこともあった。
- 近衛中将…律令制における近衛大将の次官として左右に1~4名置かれた。
- 近衛少将…近衛府の補佐として左右に1~4名置かれた。武官の家柄にあたる羽林家が侍従、少将、中将を経て蔵人頭を兼任し、参議、中納言、大納言へと昇進する例が多かった。
- 将監…現場指揮官として左右4名、10名置かれた記録もある。
- 将曹…将監の指揮のもと、配下の兵士を直接指揮する。定員は左右各4名。