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垂仁天皇の編集履歴

2012-08-09 22:00:36 バージョン

垂仁天皇

すいにんてんのう

第11代天皇。崇神天皇の皇子。3世紀後半に活躍された。

第11代天皇。

3世紀後半に活躍されたと考えられる天皇で、当時は「天皇」ではなく「大王」と呼ばれたとされる。

幼いときからしっかりとしていて立派なお方で、壮年になると、並外れて度量が大きくなられた。

天性に従ってものごとを行い、歪めたり飾ったりされなかったという。


垂仁天皇2年、狭穂姫命を皇后とし、を纏向の珠城宮に遷された。

纏向は現在の奈良県桜井市の北部であり、三輪山の西北麓にあたる。


天皇は父帝である崇神天皇同様、天神地祇を祀ることを怠りにならなかった。

垂仁天皇25年には、皇女の倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に天照大神伊勢に祀らせる準備をさせた。

これが後の伊勢神宮の創祀となり、彼女が最初の伊勢斎王だったといわれる。


天皇はまた、崇神天皇の政策を踏襲して諸国に池や溝をたくさん開かせ、それにより農民は豊かになり、天下は太平になった。

こうした善政の他にも、垂仁天皇28年、天皇は「古えの風習といえども良くないことには従わなくてもよい」と仰って、以後の殉死を廃止させた。

その後、垂仁天皇32年に皇后の日葉酢媛命が薨去すると、野見宿彌(日本の相撲の元祖といわれる)が土偶をつくり、殉死する人の代わりにしたのが、埴輪の起源といわれる。


垂仁天皇の時代は海外との交流も活発に行われ、崇神天皇の時代に来朝した任那の王子・蘇那曷叱智(ソナカシラ)が帰国した。

また、新羅の王子・天日槍(アメノヒホコ)が来朝した。


関連項目

天皇 古代 日本史

伊勢神宮 倭姫命

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