概要
天皇が即位されるとすぐに選ばれ、御位を下りられるまでは替わらない。
未婚の内親王や女王から選ばれた斎王は伊勢神宮に赴き、天皇の御名代として皇祖天照大神をお祀りした。
斎宮に住まわれ、伊勢神宮の三節祭と呼ばれる重要祭祀に参加するのが最も重要な任務であった。
日本武尊の叔母倭姫命が祖であるといい、歴史上60人以上の斎王(斎内親王)が存在した。
斎王の存在が確かな7世紀後半、天武天皇の御代から14世紀まで60人以上の斎王がおり、平均して7年程度で交替しているが、中には物心つくまえに伊勢に送られ、20年以上務めた斎王もいる。
数え年5歳以下の幼女も数多くいた。
この制度は建武元年(西暦1334年)の記録を最後に無くなってしまった。
ただし明治以降、神宮トップである祭主職の世襲が廃止され、祭主職や宮司職は皇族・華族を任じる親任官制度となる。これが太平洋戦争以後になって政府の手から離れたのを機に、皇籍を離脱した元内親王(この中でも特に天皇の皇女に限られる)を神社本庁が年長順に祭主に任じるようになった。
現代において、斎王・斎宮の制度に似通ったシステムが誕生したが、既婚である皇籍離脱した内親王の任命である点は大幅に異なる。また祭主の地位は斎王・斎宮と共存していた時代も長い。祭主は神宮には住まず、実務上のトップはナンバー2である大宮司であるため、名誉職の意味合いが強い(加えて言えば、大宮司職も皇室に深く関わりのある旧皇族・特別な旧華族(天皇の外孫など)のみが就任するため、大宮司の補佐職として一般神職の上がり職である少宮司が存在する)。
この祭主職は平成期には今上天皇(当時)の4番目の姉、存命最年長の元内親王である池田厚子氏が務めていたが高齢のため、平成25年の式年遷宮行事の過半においては、姪で今上天皇の長女、黒田清子氏が代行として務めた。
その後平成29年を以て清子氏が正式に祭主職を継承し、厚子氏は存命中に祭主を退任することとなった(2年後、弟であった天皇も第一皇子に譲位し、約200年ぶりに上皇となる)。
姉の和子氏も晩年の体調悪化により祭主職を妹である厚子氏に譲っていたが、この時は継承から僅か半年で和子氏は死去している。
その他
上記の斎王とは別に、タロットカード大アルカナのハイプリエステスの訳語として用いられることがある(一般的には女教皇と訳される)。
関連タグ
ひょっとして→斎王琢磨