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トラヤヌスの編集履歴

2012-09-12 17:33:06 バージョン

トラヤヌス

とらやぬす

第13代ローマ元首 文武両道・質実剛健・豪放磊落の三つがそろい人格もよかった『健康すぎる皇帝』として記録される。 戦争に明け暮れローマの領土を最大にした。 異名『最善の元首』

CAESAR MARCVS VLPIVS NERVA TRAIANVS AVGVSTVS

マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス

誕生53年9月18日 イタリカ(属州ヒスパニア・バエティカ)
権力ネルウァの遺言
元首政権98年1月28日 - 117年8月9日
崩御117年8月9日 自然死

『至高の皇帝』『五賢帝』 健康すぎる皇帝として有名


ローマ属州ヒスパニア出身でハドリアヌスの親戚、エリート軍人として育ち、ドミティアヌス元首の時代に軍団帳を歴任した。ドミティアヌスが暗殺された後、老ネルワ元首が養子縁組を申し出るのを受け入れる。ネルワ元首崩御後、ローマ元首を継ぐ。当初はネルワの路線を継承しセナートスと協調してローマ統治を安定させた。対外的には積極的な侵略戦争を繰り返し図り、ダキアを征服に成功。ローマ市のフォルムに記念柱をたて、その勝利を盛大に祝った。これ以降は自身の指導力を隠すことはしなかったという。


最大領土を獲得

トラヤヌスはダキア地方以外にも東方地方に遠征をしたほか、南方にも進出した。トラヤヌス存命中の1年期間メソポタミア全域がローマ領土であった。この時代にローマニアは最大版図を形成した。


トラヤヌスは文武両道・質実剛健・豪放磊落をすべてもった性格だと言われ、つまり権威を振りかざさないさっぱりした体育会系でありローマ市民はどちらかというと体育会系気風なので市民受けがものすごくよかった。そして演説パフォーマンスも饒舌だったようである


そして元首在任期間中も死後も、そしてローマ文明を忌み嫌うキリスト全般の中世ヨーロッパでさえも、『偉大な皇帝』という評価が変わらなかったという唯一のローマ皇帝となった。


後代においても評価が変わらないローマ市史上最高の


建造物を作りまくる

トラヤヌスはローマ元首の中で一番建築物やモニュメントを作った元首である、ただしこれは別に芸術が好きだというより、公共心から来ているものだと思われる。


少年好き

トラヤヌスの私生活も別に理想的なものだと言われたが、少年愛をおこなっていたといわれている。 ただ、後のハドリアヌスのようにアッー!丸出しの関係というより、上司と部下の深い付き合い的だったのかもしれない。ただトラヤヌスは『アリメンタ』といわれる孤児を擁護する組織を作っている、この組織は慈善活動を目的だと言われてはしているものの美少年を集める組織だった可能性もある。


崩御

115年までに60代のトラヤヌスはメソポタニアの最前線で戦ッていたが、属州ユダヤや属州アラブで反乱が頻発し苦境にたった。 トラヤヌスはハドリアヌスにメソポタミアを任せ、自身はローマで対処をしようと岐路についた、その途中に突然死んだ。


享年64歳


関連

先代☞ネルウァ

時代☞ハドリアヌス

その他

青春 おかっぱ 青春

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