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藤原範茂の編集履歴

2024-05-29 21:26:25 バージョン

藤原範茂

ふじわらののりしげ

藤原範茂とは鎌倉時代の公卿。

概要

父は藤原範季、母は平教子、官位は従三位、参議


プロフィール

時代鎌倉時代前期
生誕文治元年(1185年)
死没承久3年6月18日(1221年7月9日
官位従三位、参議
主君後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇
氏族高倉家
父母父:藤原範季、母:平教子平教盛の娘)
兄弟範時、重子、範茂範資範弘、季子、藤原範宗室、高階経仲室、隆重室、吉田資経室、藤原範家
平知盛の娘
範継四条隆親室、範有範房範能範任、雲円、忠成王

経歴

建久9年(1198年)に従五位下、後に左衛門佐、左兵衛佐、左少将、右中将、左中将となり建保7年(1219年)に蔵人頭、翌年の承久2年(1220年)に参議に就任、承久3年(1221年)の承久の乱では後鳥羽上皇の討幕計画に関わり、宇治川の戦いに出陣したが敗れ、北条朝時に身柄を預けられ鎌倉へ護送中に川に沈められ処刑された。


外部リンク

藤原範茂 - Wikipedia


関連タグ

公家 鎌倉時代 藤原南家 高倉家

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