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近鉄信貴線の編集履歴

2024-06-02 18:58:12 バージョン

近鉄信貴線

きんてつしぎせん

近畿日本鉄道が運営する鉄道路線の1つ。本記事では、信貴山口駅で接続する西信貴鋼索線についても説明する。

信貴線の概要

近畿日本鉄道の1路線で、近鉄大阪線河内山本駅から分岐し、信貴山口駅までを結び、全線が大阪府八尾市内にある。営業キロ2.8km。

信貴山口駅にて近鉄西信貴ケーブル(後述の西信貴鋼索線)と接続し、高安山・信貴山(奈良県)方面へのアクセス路線の1つを担っている。平日は通勤・通学利用が主体。


駅一覧・運行形態

(イラスト右上)

全列車2両編成。線内折り返しの普通列車が15~20分間隔で運行されている。車両は1422系列の1430系が基本。

なお、2駅のみの路線であるが、2018年6月現在ワンマン運転は行われていない。

河内山本駅の配線の都合上、信貴線運用への送り込みのための回送列車は近鉄大阪線弥刀駅にて折り返してから河内山本駅へ向かう。

駅番号駅名読み乗り換え路線
J12河内山本かわちやまもと近鉄大阪線
J13服部川はっとりがわ
J14信貴山口しぎさんぐち西信貴ケーブル

西信貴鋼索線の概要

信貴線の信貴山口駅より分岐し、高安山駅へ至る鋼索線(ケーブルカー)。こちらも全線が大阪府八尾市で完結する。営業キロ1.3km。

1930年、奈良県側にある信貴山真言宗総本山・朝護孫子寺への大阪府側からのアクセス路線として、信貴山急行電鉄の手で開業し、高安山駅では、同駅と信貴山門駅とを結ぶ同社の平坦線(営業キロ2.1km、途中駅無し)に接続していた。平坦線ともども、戦時中の1944年1月7日に不要不急線と看做されたため運行休止。信急は同年中に近鉄へ吸収合併された。西信貴鋼索線が営業を再開したのは戦後しばらく経った1957年3月のことである。

ちなみに旧信急平坦線は、撤去された軌道が再敷設されることなく同社のバスに転換されたため、鉄道路線として復活することはなかった。


現在は40分間隔で運行され、昼間時間帯において、信貴線の半数の列車と接続している。


車両はコ7形7〜8を使用。

信急鋼索線として開業した当時の車両は、コ1形1〜2と称し、3・4を飛ばして平坦線ではデ5形5〜7と呼ばれる比較的小型の電車を使用していた。デ5・7(6は休止前に事故で廃車)は山を降りて近鉄5251系と名を改め、南大阪線を経て伊賀線(現在の伊賀鉄道)に転じ、1977年まで使用されていた。


駅一覧

信貴山口駅(Z14) - 高安山駅(Z15)


関連項目

近畿日本鉄道近鉄 近鉄大阪線 大阪府 信貴線(表記揺れ)


信貴山下駅···こちらは同じ近鉄でも奈良県側にある生駒線の駅で、1983年まで東信貴鋼索線が接続していた(奈良交通のバス路線で代替)。

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