無題byかんづめ一般人物徳大寺実基とくだいじさねもと徳大寺実基とは鎌倉時代前期から中期の公卿。pixivで「徳大寺実基」のイラストを見るpixivで「徳大寺実基」の小説を読むpixivで「徳大寺実基」のイラストを投稿するpixivで「徳大寺実基」の小説を投稿する問題を報告英語版記事を作る目次1 概要2 プロフィール3 経歴4 外部リンク5 関連タグ概要徳大寺公継の子、官位は従一位、太政大臣。プロフィール時代鎌倉時代前期ー中期生誕建仁元年(1201年)死没文永10年2月14日(1273年3月4日)官位従一位、太政大臣主君順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇氏族徳大寺家父母父:徳大寺公継、母:白拍子妻藤原頼平の娘子公孝、道基、公信、教子、公仲経歴建保元年(1213年)に従五位下、侍従となる、右少将、左中将となり承久元年(1219年)に従三位、元仁元年(1224年)に権中納言、後に左衛門督、検非違使別当、中宮大夫となり寛喜元年(1231年)に中納言、嘉禎元年(1235年)に権大納言となる、仁治2年(1241年)に大納言、寛元元年(1246年)に内大臣となり建長5年(1253年)に太政大臣となった、従一位となるが文永2年(1265年)に出家した。外部リンク徳大寺実基 - Wikipedia関連タグ公家 徳大寺家 戦国時代関連記事親記事徳大寺家とくだいじけ