概要
炎に包まれた片輪だけの牛車に乗った妖怪、もしくは車輪の妖怪。
寛保年間に書かれた『諸国里人談』では近江国(滋賀県)の甲賀郡に女が、延宝年間の『諸国百物語』では京都の東洞院通に恐ろしい男が乗った車が毎晩のように現れ、ある晩覗き見た女に「我見るより我が子を見よ」と言い放った。驚いて我が子を見ると近江国では子が家からいなくなっており(後に謝罪を一首詠み戸口に貼っておいたところ子は帰ってきた)、京都では男が咥えていた足は我が子のものだった。
江戸の『妖怪かるた』では、炎に包まれた車輪に男の顔がついた姿で描かれており、この絵が鳥山石燕の描いた輪入道の姿の元になったといわれている。
余談
- 近年の書籍では「片車輪(かたしゃりん)」と書かれていることが多い。これは差別用語ととられない様に配慮されたためであると、京極夏彦、多田克己、村上健司の対談本『妖怪馬鹿』で解説されている。
- そのためなのか輪入道とは違い創作ではあまり登場しない。
- 『5期鬼太郎』では第30話「鬼太郎抹殺作戦」に片車輪名義で登場。鬼の顔を持った炎の車輪の妖怪だった。
回転する部品が使われている物に取り憑いて自在に動かす力を持つが、最期は鬼太郎達に海に沈められて倒された。
- 着物の文様で、水につかった車輪の柄も「片輪車」という。これは牛車の車輪が乾燥して割れないように取り外して、定期的に水につけていた様子であるという。
- まほろば妖女奇譚では、欧米かぶれでパンジャンドラムを崇拝しているという、ネタキャラになってしまった。