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リパブリック讃歌の編集履歴

2024/07/12 07:25:07 版

編集者:Null

編集内容:誕生の経緯

概要

ジュリア・フォード・ハウ作詞/作曲者不詳のアメリカ南北戦争での北軍行軍曲。北軍の勝利後はアメリカ合衆国の愛国歌ともなった。原曲は作詞者作曲者不詳のメソジスト讃美歌「おお兄妹たちよ、我らに会わないか」が旋律を少しずつ変えながらボストンの民兵たちに歌われるようになったもの。これに刑死した高名な奴隷制廃止論者“ジョン・ブラウン”と同名で在隊していた兵士にちなんで「ジョン・ブラウンの屍」という替え歌が作られて流行した。物騒な題名だが、「ジョン・ブラウンの野郎、また遅刻だぜどこいった?」「ジョンブラウンが死んだ!」みたいなノリでからかう趣旨であったらしい。また、奴隷制廃止論者の方のブラウン信奉者たちも彼の犠牲を讃える為に「ジョン・ブラウンは死んだが、彼の魂は我らと共に進み続ける」という趣旨で愛唱した。南北戦争時にも北軍兵士たちはこの歌を愛唱していたが、よりよい歌詞が欲しいとハウに作詞が発注されたのが現行のリパブリック讃歌である。

日本では、1965年に阪田寛夫作詞による「ともだち讃歌」として音楽教科書にも採用された。

替え歌

誕生の経緯からして替え歌が繰り返されているのだが、日本上陸後もこの曲にはとにかく替え歌が多いことで知られる。

ごんべさんの赤ちゃん

日本語

英語

おはぎの嫁入り

ともだち讃歌

えいようのうた

その他

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