CV:小林薫
来歴
帝から勅命を受け、シシ神の首を狙う謎の組織「師匠連」の一員でその傘下組織「唐傘連」のリーダー格の僧(実際に出家しているのかは不明。部下の唐傘連は皆、ジコ坊同様の恰好をした僧形である)。傭兵集団・石火矢衆、狩人のシバシリ(地走り)達などを雇っている彼等の頭でもある。
物語の上では主人公と敵対する悪役と呼べる存在だが、そう単純な立場でもない人物。
アシタカとの初接触時に見せた態度のように、人当たり良く、直接の面識が無い相手にも義理堅く親切であったりと、少なくとも「仕事」の絡まない範囲では世慣れた気の良いおっさん。
「世間知らずな青臭い若者」であるアシタカとサンの対極に位置するキャラクターであり、エボシ御前やモロの君と並んで「世俗を知る成熟した大人」としての性格を与えられたキャラクターでもある。
初見では分かりづらいが、初登場は序盤の戦に巻き込まれた集落の場面。乱妨取りをしている地侍に襲わて逃げまどう人々に混じっており、たまたま通りかかったアシタカが地侍を射ち殺して場を乱したことで命拾いしている。
そのまま戦場を押し通ったアシタカの方は気づいていなかったが、ジコ坊は凄まじい強弓を射る異風体の若者を覚えていた。
その後、街に入ったアシタカは市場で買った米の代金を砂金の大粒で支払おうとし、砂金の価値がわからず「お足(現金)じゃなきゃ売れない」と言う店主といざこざになりかけていた。
今度はジコ坊の方がたまたま同じ市場に通りかかり、命の恩人のためと割って入って砂金がいかに高価なものであるかを説き、その場を納める。
更に、追い剥ぎらしき一団を撒くため二人は街道を走り抜け、凄まじい強さと数奇な運命を持ちながら世間知らずな異邦人アシタカと、国家権力の下で動く世慣れた仕事人とも言えるジコ坊は、何とは無しに同道することになった。
この晩にはアシタカの買った米に手持ちの味噌を加えて粥を作るなど、野宿に慣れた所も見せている。ジブリアニメにはよくある話だが、この粥はシンプルながらやたらと美味そうと評判。
- 他人の買った米で作った粥をバクバクと注いでは食いしているため図々しく見えるが、この時代だとジコ坊が提供した味噌の方が加工品としてずっと手間がかかり希少なもの。身分が高く裕福な者しか普段使いできないような調味料をたっぷり鍋に入れてやった上、わざわざ器を出すよう促して「そなたの米だ、どんどん食え!」と勧めている点では、米をもらった代わりに高級珍味を提供したようなものであり、無遠慮だが気前が良いとも言える。
短い付き合いながら少なくとも極悪人ではないと踏んだアシタカは、タタリ神による呪いとタタリ神に食い込んでいた礫についてジコ坊に明かす。
礫について誰より詳しく知っているはずのジコ坊はおくびにも出さず「シシ神の森近くのタタラ場に向かえば何かわかるかもしれない」と助言を与えた。
その翌朝、夜も明けきらないうちに一人静かに旅立つアシタカを狸寝入りしながら見送り、アシタカも感謝の一礼をして去る。
物語は森の獣たちとタタラ場の争いへと移りジコ坊も姿を見せなくなるが、中盤に「ジバシリ」と呼ばれる狩人の一段を率いてデイダラボッチの動向を探る姿が描写される。
この辺りから、背後に権力者がいること、その密命で動いていることが見え隠れし始め、唐傘連を引き連れタタラ場を訪れてエボシ御前と合流。タタラ場での会談で、彼の役目が「帝の勅命により、森を焼き払いシシ神の首を献上すること」であることが明かされる。
タタラ場を躍進させた戦力である石火矢衆も、ジコ坊を通じてエボシに貸し与えられていた、権力側の一団だったことが明らかになる。
つまり、森を守ろうとする「もののけ姫」サン、後にサンと道を共にするアシタカとは相容れない役割と立場を帯びていたのだが、エボシ御前に対して「アカシシに乗った青年が来なかったか?」と尋ねており、ジコ坊個人としては打算無しでアシタカを気に掛けていたようにも見える。
その後はエボシ御前によるシシ神狩りに同行し、その首を刈り取り首桶に入れることに成功するも、首を失い暴走したデイダラボッチにより部下である唐傘連や石火矢衆、地走りの大半を失う。
しかし、朝日が昇れば「夜の神の姿」であるデイダラボッチは消えると踏んだジコ坊は諦めることなく、何とか無事だった部下のうち唐傘連2人と石火矢衆1人を即席の担ぎ手にして、自らも首桶を乗せた輿を担ぎ必死にシシ神の森を抜ける。
タタラ場の開発で荒廃した山を登っていくところでアシタカとサンに見つかると、アシタカの無事に安堵するも、首を神に返さんとする彼の説得に耳を貸すことはなかった。生き残った部下共々抵抗するが、最終的にデイダラボッチのこぼしたドロドロに囲まれてゆく中で部下ともはぐれ、遂に観念。首桶の蓋を開けて首を解放し、アシタカとサンがデイダラボッチに首を返すところを見届けた。
ラストシーンではシシ神の力で芽吹いた森を見て、「いやあ、まいった、まいった。バカには勝てん」と笑いながら言い放ち、最後の最後まで飄々としたその態度を崩さなかった。
人物
一見すると剽軽な顔立ちをしたチビで小太りのオッサンだが、呪いで身体能力が高まったアシタカと対等に渡り合うなど、作中に登場する人間キャラの中では最強クラスの身体能力を誇る。
特に脚力とバランス感覚はすさまじく、高歯の下駄と言う大変動きにくそうな履物で岩場を軽々と駆け回るばかりか、流れの激しい渓谷でもよりしっかりした足元の地走り達を置いて的確に岩の上をピョンピョンと跳ね回り、馬に勝るとも劣らないヤックルと並走するほど。足場の悪い山林で一晩中デイダラボッチの執拗な追跡を回避していたように、持久力にも長けている。
個人の性格としては「気のいい、調子のいいおっさん」なのだが、諜報員的な立場からか、手持ちの情報を隠すため平気で噓をつくなどたびたび腹黒い側面が垣間見え、目的を同じくするエボシや周囲の人間、各勢力を「神殺しの勅命に使える駒」以上には見ていない節がある。
エボシの方もジコ坊と唐傘連達を信用しておらず、この辺りは「国崩し」と称し権力構造の破壊を目指して一時的な戦力と後ろ盾に利用するエボシと、権力側のジコ坊とで足元を見合っているとも言える。
アシタカに対しても、命の恩人の好漢として最後まで親しみを見せながら任務遂行のためなら排除も辞さないなど、人間的な部分と立場を平然と割り切っている。
最後にシシ神の首を返したのも徹底的に追い詰められて観念しただけであり、行いを反省したわけではない。
こうした点では敵側の手先として動き続け、懲らしめられたり改心したりせず終わったという形なのだが、表情豊かな所や、裏表入り混じった小林薫の怪演、首桶を抱えふんどしのケツ丸出しで高速回転しながら坂道を転がり落ちてピンピンしているギャグ補正っぽい描写など、単純な悪人で終わらないジブリらしいキャラクターでもある。
宮崎駿は映画公開の際のインタビューで、個人の単位では親切だが仕事となると冷酷にもなる二面性を見せる所を日本人そのものと表現している。
立場の謎
劇中で名言されていないため具体的には不明だが、政治的に強い発言力を持っているであろう「師匠連」と繋がっており、帝からの勅書を持ち歩く、最新兵器の石火矢を使う部隊を任されるなど、権力構造の中でかなりの立場にいるのは間違い無い。
また、米以上の高級品である味噌や上等の調理器具などを持っている、砂金の価値を知っている、政権に追われたエミシの文化やアカシシなど文献レベルの知識を持ち合わせるなど、金銭や知識にも豊かなことが描写されている。
その一方で、自ら最前線に出てくる、異様に戦闘能力が高い、不老不死を欲する貴族に対して「やんごとなき御方の考えることなど分からん。いや、分からん方が良い」と突き放した見方をしているなど、いわゆる貴族として連想される「高貴な身分」とも一線を引いた様子があり、あくまでも現場で自ら汚れ仕事を命じられる前線指揮官といった立場をうかがわせる。
歴史を見ると、中世日本では士農工商から外れた身分の人々がこうした役割を担っていて、その長となる者には公的にも強い立場が与えられていた。ジコ坊もそうした役職をモデルにしていると考えるファンもいる。
余談
アシタカと野営をする場面は、シュナの旅の同様のシーンがモデルではないかとも言われる。そちらは「飄々とした態度の旅の老人が主人公と旅の道連れに野宿をし、食事への返礼として自らの知る伝承を教える」というシーンで、老人はこのシーン限りのキャラクターであった。
シュナのCVもアシタカ、アスベルと同じ松田洋治であり、ヤックルのモデルとなった動物も同じくヤックルという名で登場した。
「ジコボウ」という名前の由来は、宮崎駿の別荘がある長野県は諏訪辺りで言うキノコの一種、ハナイグチの方言らしい。『もののけ姫はこうして生まれた』では「美味しいキノコ」と紹介されている。