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徳川義直の編集履歴2024/10/15 15:49:45 版
編集者:一睡庵
編集内容:関連タグに尾張柳生、柳生兵庫助、名古屋城を追記

概要

徳川家康の九男の尾張徳川家の初代当主である。母は側室のお亀の方。

生没年は1601(慶長5)年~1650(慶安3)年、官位は従二位権大納言であった。

経歴

1603(慶長8)年、甲斐25万石を与えられ、1607(慶長12)年に四兄である松平忠吉の遺領である尾張清洲47万2千石へ移封される(後に名古屋へ移動となり、所領も62万石に加増される)。

1624(寛永元)年、31(寛永8)年に、無断で江戸へ向かうという事件を起こしている。これは前者が甥である3代将軍・家光急病のうわさから、後者は大御所・秀忠発病の報告からであったが、武家諸法度には「江戸で事件があっても自身の領土にとどまる事」と定められており、下手をすれば改易に繋がりかねない重大事でもあった。

1650年死去。跡を長男の光義が継いだ。

関連タグ

江戸時代 徳川家 尾張藩

尾張徳川家 名古屋城

柳生兵庫助-新陰流剣術師範を務め、現代に至るまで

柳生新陰流の道統を残した。(尾張柳生)

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