生没年 1625(寛永2)年~1700(元禄13)年
官位 従二位 権大納言
尾張徳川家初代当主・徳川義直の長男。正室は3代将軍・徳川家光の長女・千代姫。
当初は義父である家光と父である義直の諱から光義と名乗ったが、後に光友と改めている(光義の方が名乗っていた期間が長い)。
経歴
1650(慶安3)年に義直が亡くなり家督を継ぐ。1681(天和元)年に次男の義行が信濃国内に、1683(天和3)年に庶長子の義昌が陸奥梁川(福島県伊達市)にそれぞれ3万石を与えられ、連枝として独立した。
1693(元禄6)年に家督を嫡男の綱誠に譲って隠居したが、1699(元禄12)年に綱誠が死去。綱誠の十男である吉通が継いだのを見届けた翌年に亡くなった。