生没年 1652(承応元)年~1699(元禄12)年
官位 従三位 権中納言
尾張徳川家2代当主・徳川光義→光友の次男、母は3代将軍・徳川家光の娘・千代姫(霊仙院)。
経歴
1657(明暦3)年に元服するとともに、叔父で4代将軍・家綱と父・光義から1字ずつ授かり諱を綱義とする。
1680(延宝8)年、家綱の弟・綱吉の5代将軍就任で、将軍と同じ諱はよろしくないとして綱誠に改める。
1693(元禄6)年、光友の隠居によって尾張藩3代藩主となるが、6年後に食あたりのため急死する。
13名の側室との間に22男18女を成し、そのうち10男の吉通が跡を継ぎ4代藩主に、11男の継友が6代藩主、20男の宗春が7代藩主となった。