徳川吉通
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とくがわよしみち
徳川吉通とは江戸時代中期の大名。
1699(元禄12)年、父・綱誠の死により尾張藩4代当主となる。
尾張藩の重要な収入源である木曾林の改革に励むなど藩政に取り組んだが、正徳3年7月、母・本樹院を饗応した直後に発病し5日後に死亡した。
同年は閏5月に藩士2人の変死事件、吉通の大伯父である松平義昌(陸奥柳川藩主)が死去するなど不幸が相次いだが、尾張藩士・朝日重章の記した「鸚鵡籠中記」には紀州藩の間者が関与していたとの醜聞がたっていたと伝えている。
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