解説
前史
ナチスが政権をとる以前から、ドイツ国防軍は密かに再軍備のための新型戦車の開発を行っていた。
1934年、NbFzと呼ばれる多砲塔戦車の試作車が作られたが、大きく重かったため、これに代わる戦車の開発が求められた。ハインツ・グデーリアンにより求められた戦車の仕様は二種類あり、後の主力戦車であるⅢ号戦車と、ベグライトヴァーゲンとして開発指示が出された、後のⅣ号戦車であった。
競争
4つのメーカーにより競作された結果、1936年4月に完成したクルップ社のBW(バタリオンスフューラー・ワーゲン=大隊指揮官用車)Ⅰをもとに、増加試作車的なA型、次いでB・C型が作られた。そして1939年からD型が本格的に量産され、度々設計変更が加えられ続けJ型までのバリエーションが作られていった。
仕様
当初から3人が搭乗するバスケット式の砲塔を搭載し、後の武装強化に対応できる大きめのターレットリングを備えていた。戦車長は砲塔後部に位置し、キューポラから周囲を監視しながら指揮に専念できた。
また装填手以外の全員はタコホーン(喉頭マイク)とヘッドセットを装着し、インターコム(車内通話装置)で騒音の中でも対話できた。乗降用ハッチは全員分の数があり、撃破された際の素早い脱出が可能であった。一方で車体構成は保守的で、地形追従性の低いリーフスプリング・ボギー式懸架装置を採用していた。これはⅢ号戦車のトーションバー式に比べ路外機動性で劣ってはいたが、整備や修理が容易であり、また車体の底に脱出ハッチを設置できた。
当初、短砲身24口径7.5cm砲が搭載され、Ⅲ号戦車の火力支援任務にあたっていた。イギリス軍のマチルダⅡ歩兵戦車など装甲の厚い敵戦車との対戦で、より強力な火力が必要とされ、1941年2月にヒトラーによって60口径5cm砲の搭載が命じられた。これはD型をもとに一輌が試作されたが、より強力な長砲身7.5cm砲の搭載が検討され、(もともと40口径で設計されていたものを、車体より前にはみ出ないよう求められたため)34.5口径の新型砲が試作された。さらに独ソ戦がはじまると、ソ連軍のT-34に対して、すべてのドイツ対戦車兵器の威力不足が明らかになった。このためより以上の武装強化が必要とされ、F型の生産途中から長砲身43口径75mm砲が搭載された。
こうして火力支援戦車だったⅣ号は、Ⅲ号戦車に代わる主力戦車となり、北アフリカ戦線においては大きな戦果を上げ、連合軍からはマークⅣスペシャルとして恐れられた。
評価
本車はドイツ戦車の中で最も生産数が多く、改良が限界に達した大戦中期以降も主力であり、敗戦時まで使用され続けた。ドイツ陸軍兵器局は、大戦末期に出現したT-34/85との比較試験を行い、Ⅳ号戦車はあらゆる比較項目で圧倒されるという結論に至っていたが、全ての生産ラインをパンターに切り替える時間的余裕があるはずもなく、グデーリアンの強い反対もあって、本車の生産を中止するという選択肢はなかった。
Ⅳ号戦車は同時期に開発されたⅢ号戦車と比べ、ターレットリングの直径が大きかった(車体サイズ自体は大差がない)ため、その後の武装強化に対応することができ、主力戦車としての地位を占めることができた。ドイツ戦車部隊のワークホース(使役馬)と呼ばれ、戦況が求めるさまざまな要求に応じるべく、車台を流用したⅣ号駆逐戦車やナースホルンから架橋戦車や弾薬運搬車などの多種多様な派生型を生み出した。
Ⅳ号戦車はドイツの同盟国などにも輸出され、G型以降の型がイタリア、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、フィンランド、スペイン、トルコの各軍に配備され、戦後もしばらくの間使われていた。チェコスロヴァキアが保有していた中古を購入したシリア軍のⅣ号戦車が、中東戦争でイスラエル国防軍のセンチュリオンと交戦した記録がある。
性能諸元(D型)
全長:5.92m
全幅:2.84m
全高:2.68m
重量:20t
エンジン:マイバッハHL120TRM 水冷V型12気筒ガソリンエンジン 300馬力
速度:最大40km/h
装甲:10~30mm
武装:7.5cm KwK37 L/24 1門 7.92mm MG34 2丁
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