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スターレットの編集履歴

2012-11-29 19:50:36 バージョン

スターレット

すたーれっと

トヨタ自動車で生産されていた乗用車である。(って言うかヴィッツの先代で何故かパブリカの後継車) 東方GTA作品では、東方幻走狂2でレティがB16AスワップしたEP82に乗っている

概要


パブリカのスポーティーな上級派生車として登場した初代はファストバックボディの2ドアと4ドアであり、1978年まではスポーティーグレードを廃止した2代目パプリカも併売されていた。2代目以降は3ドアと5ドアのハッチバックボディを持つ。2代目と3代目には商用車登録のバンも存在したが、ピックアップトラックは作られず、パブリカピックアップが1988年(昭和63年)まで継続生産されていた。

前輪駆動化した3代目からターボチャージャー付きエンジン搭載車も登場し、「韋駄天」「かっ跳び」など走りのコンパクトとしての異名を持つ。

2代目以降の設計と組み立てには、豊田自動織機も参加している。


歴史


初代 P4#/5#型(1973年 - 1978年)


1973年4月に2代目パブリカのスポーティーな上級シリーズとして、パブリカ・スターレットの名でデビュー(1000cc:KP45 / 1200cc:KP47)。初代セリカで好評であった「フルチョイスシステム」にならい、やや簡略化した「フリーチョイスシステム」を採用していた。

ボディスタイルは2ドアのファストバッククーペで、直線的なエクステリアデザインは曲面主体の当時の国産車にあっては新鮮なものだった。同年10月、4ドアモデル(ファストバックセダン、1000cc:KP40 / 1200cc:KP42。)が追加され、トヨタ・スターレットとしてパブリカシリーズから独立する。

搭載エンジンは、パブリカと共通の2K型1000ccと3K型1200ccの2種で、1200ccにはさらにシングルキャブ(68馬力)とツインキャブ(74馬力)の2種が用意されていた。

1976年2月にはマイナーチェンジと同時に昭和51年排出ガス規制を乗り切るため、改善の困難な1000ccとツインキャブ仕様を廃止、1200cc・64馬力のシングルキャブ仕様のみに整理、型式もB-KP51系となった。同年9月にはATが追加(パブリカ共)された。

またモータースポーツでは、レースをはじめ、ラリー、ジムカーナ、ダートトライアルなどに広く用いられた。中でも、富士スピードウェイでのマイナーツーリングレースでは日産・サニー(B110型)、ホンダシビック(SB1型)との熾烈なバトルが繰り広げられた。TRDからは各種の競技用部品も市販された。また日本初のワンメイクレースは1981年から開始された「スターレットカップ」シリーズであり、2000年に「ネッツカップ ヴィッツレース」シリーズに引き継がれたが、ビギナーにもベテランにも楽しめるレースとして人気がある。


2代目 P6#型(1978年 - 1984年)


通称:「1300スターレット」。1978年2月のモデルチェンジでハッチバックボディに転換。エンジンは先代モデルに用いられていた3K型の排気量をアップした4K型、72馬力へ変更された。

同時期のライバルはFFのものが多く、大衆車のFF化が進んでいた中でFRのままデビューした。また、同クラスで初めて全グレードにフロントディスクブレーキを標準装備したモデルである。他にも、衝撃吸収ステアリングやヘッドランプクリーナーといった装備も存在した。

リアアクスルは固定車軸ながら、先代のリーフリジッドから4リンク+コイルスプリングに変更されている。またロック トゥー ロック3回転のラックアンドピニオン式ステアリングギアボックスを採用。

発売時のグレード構成は、木目調インテリアやヘッドランプクリーナーなど最高級の装備を奢った「SE」、スポーツサスペンションなど走りを意識した装備の「S」、標準的な装備の量販グレード「XL」、ベースグレードの「DX」、廉価版の「スタンダード」となっており、スタンダード以外は3ドアと5ドアが選択できた。

同年10月、パブリカバンの後継車として、リアオーバーハングを延長した5ドアバン(KP61 / 62V)が追加された。なお、バンのみリアサスペンションはリーフリジッドで、エンジンも当初は、パブリカ時代と同じ1200ccの3K型(3K-U、3K-HJ 1976年1月 - 1977年8月)が搭載されていたが、1982年1月に1300ccの4K-J型(KP61V)に変更されている。

廉価グレードのDX-Aに、自動アイドリングストップ機能の「エコランシステム」が設定されていた。

1978年2月 - 2代目発表。時流に乗り、背の高い2ボックスボディー+ハッチバックスタイルとなる。その後モータースポーツでのTRDのサポートなどが奏功し、人気車となる。同年10月 - バンを追加。

1980年5月 - マイナーチェンジ。俗に中期型と呼ばれるこの時期のモデルは、ヘッドランプが前期型の丸型2灯から角型2灯になり、同時に女性仕様の「リセ」が追加されている。バンのヘッドランプのみは角型のライトベゼルに丸型のランプが入っている。

1981年8月 - 吸気系統の変更で、運輸省届出型式は4K-Uのまま、カタログ表記がLASRE 4K-II に変更され、AT車も従来の2速から3速に変更された。

1982年1月 - バンのエンジンを 3K-HJ 型から 4K-J 型へ変更。

同年8月 - マイナーチェンジ。俗に後期型と呼ばれているが、車幅灯がヘッドランプの横に移動(コーナーマーカー化)し、ハッチバックの開口面積が拡大され、インパネのデザインが大幅に変更されている。

1983年4月以降、ドアミラー仕様車も追加、併売される。

前期型と後期型では同じP60系でも内外観の印象は大きく異なる。また、後期型では電子燃料噴射方式(EFI)仕様の「Si」「SE-EFI」「XL-EFI」が追加された。ただしその特性は、レスポンスや吹け上がりの面でキャブレター仕様に譲る。一方、競技用のベース車には廉価グレードであったDXやDX-A、スタンダードが好まれた。これらは安価な上、余計な装備が無く、軽量であり、改造に向いていたからである。カモシカ風のエンブレムを冠した最後のモデルである。

後輪駆動車のわりに中古車価格の値下がりが早く、アフターパーツが豊富に存在したことから、1980年代から1990年代にかけて競技用として普及し、サーキットレースやラリーで盛んに使用された。同時にチューニングカー愛好者にも普及し、当時は峠族や環状族に人気があった。また、彼らの間ではエンジンのボアアップや、1600ccの4A-GE型に換装する改造が流行した。かつてはTS仕様のワンメイクレース「スターレットグランドカップ」が存在した他、少数ながら全日本ツーリングカー選手権に参戦した実績がある。近年では、2005年から岩井照宜がD1グランプリで使用している。

また、1981年にはTeam ACPによりパリ=ダカールラリーに参戦、時間外ながらも完走を果たしている。

当時のカタログには砂漠を片輪走行するシーンがあった。


3代目 P7#型(1984年 - 1989年)


ターセル / コルサの実績を踏まえ、80系カローラ同様、駆動方式を横置きFFに転換。フロントサスペンションは一般的なストラットであるが、リアサスペンションは簡潔なトレーリングツイストビーム(アクスルビーム)として、可動箇所と部品点数を極力減らす構成とした(低コスト化)。

ガソリンエンジンの排気量は1300ccで、クロスフロー・バスタブ形燃焼室を採用した直列4気筒 SOHC 12バルブの2E型を搭載。デラックスには受注生産でリーンバーンエンジンの低燃費スペシャル「パーシャルリーンシステム仕様」が設定されていた。また、1987年にはパブリカ、スターレットを通して初となる、1500cc ディーゼルエンジンの1N型を追加、型式名はNP70となる。

前輪駆動となってからも、Ri(自然吸気)・ターボRというモータースポーツ向けグレードが用意されていた。元々のスポーツグレードであるSi・ターボSに比べると、無塗装バンパー、商用グレード並みの内装など、快適装備類が削られ、より競技車両への改造が容易になっていた。KP各型の後を継ぎ、サーキットレースをはじめ、ジムカーナやダートトライアルまで幅広い競技にエントリーした人気車種であった。

最量販グレードは充実装備のリーズナブルな実用グレードの「ソレイユ」であった。女性仕様にはリセがあった。ターボモデルには5ドアもあったが、販売台数は少ない。 現在では車両価格の低さ、軽さ、4Eエンジンへの換装の手軽さなどから、耐久レースなどのベース車として活用されている。

1984年10月 - フルモデルチェンジ。前輪駆動方式に転換、型式もP70系となる。バンモデル(EP76V)も存在したが、先代とは異なり、乗用モデルの3ドアハッチバックと同じ車体であった。

1985年1月 - お買い得価格の特別仕様車のソレイユが登場。1986年1月にはカタログモデルに昇格。1987年1月のマイナーチェンジ後はエアコンとカラーバンパーを装備した特別仕様車の「ソレイユL」が度々限定販売された。

1986年1月 - ネット105馬力にパワーアップをしたターボモデルを追加。

1987年1月 - マイナーチェンジ。ディーゼル車追加。ターボ以外のモデルはバンパーがやや大型化され、フロントグリルの変更を受ける。同時にEFI仕様車に4速ATを追加。

1988年1月 - ターボモデルの一部変更でフォグランプ組み込みのフロントグリルを採用、同時に最大出力を110馬力に向上した。

1988年8月 - モデルライフ末期ながら、Siとソレイユにキャンバストップ仕様を追加。


4代目 P8#型(1989年 - 1995年)


1989年12月にフルモデルチェンジ。1300ccエンジンはSOHC12バルブから、ハイメカツインカムII(DOHC16バルブ)となる(最高出力はキャブレター仕様(4E-F)が82ps、EFI(4E-FE)が100ps、GTのターボ仕様(4E-FTE)が135ps)。1500ccディーゼルエンジン(1N)は55psである。スターレット初の4輪ディスクブレーキをGTに搭載し、オプションのABSはクラス初の設定である。先代まで続いた4ナンバー登録の商用モデルは廃止された。上級グレードのガソリン車には車体側面に「16VALVE EFI」又は「16VALVE」の文字が添えられた。なお、前期型にのみ見られる特徴として、リヤコンビランプの上にトヨタのCIマークと TOYOTA のエンブレムが併設されている。

型式名は、前輪駆動モデルはEP82、四輪駆動モデルはEP85、ディーゼルエンジンモデルはNP80。

1992年1月のマイナーチェンジで、全てのガソリンエンジンがインジェクション仕様となる。メーカーオプションで運転席SRSエアバッグも用意される。バックドア(ハッチ)にリアコンビランプを横長に見せるガーニッシュを追加(除くソレイユ系)。ガソリン車の車体側面のサイドドアプロテクションモール(ソレイユ系ではストライプテープ)上には「16VALVE EFI」のロゴタイプが添えられた。

このモデルから全てのエンジンがDOHC化(1N型ディーゼルエンジンはOHC)、1気筒あたり4バルブになったが、初期のGTはシャーシに対し出力がオーバースペック気味で、ハンドリングが過激な車だった。後のマイナーチェンジで足回りが見直され、ハンドリングマナーもやや落ち着いたものとなる。最終型では丸型ヘッドランプとなり、ホットハッチらしい風貌となった。

GTもさることながら、NAエンジンモデルも歴代最高の出力を誇ったことや価格の低さを買われてレースに多用されている。特に、富士スピードウェイで行われているアマチュアレース「富士チャンピオンレース」のN1400クラス(排気量1400cc以下の市販車をベースとしたN1レース)は、2010年現在このEP82型NAモデルのワンメイクレースとなっている。

前期型SiはEFI仕様100PSで5MT/4AT、S及びキャンパストップ、X-Limitedが電子制御キャブレター仕様で5MT&3AT、ソレイユ系は電子制御キャブレター仕様で4MT/3ATという組み合わせだったが、中期型からは全グレードがEFI化したのに伴い、SiはSに改称のうえ(iはEFIのIのため)Sに統合された。4WD車、ディーゼル車は、ソレイユ系でも5MT/4ATである。

特別仕様車は、中期型にGTリミテッド、ソレイユL "Memorial"、ソレイユL "Can"、ソレイユL "Jeans Package" 等があった。ソレイユ系の特別仕様車ではいずれも、運転席ワンタッチ式パワーウィンドウ&電磁式パワードアロック、ラジオレス+2スピーカー、X-Limitedと同意匠のフルホイールキャップ、リヤドアのアームレストが特別装備として用意されていた。Canには電動系の装備は付かないがエアコン、ストライプ、防眩インナーミラーが標準装備された。尚、カタログモデルのソレイユL(3/5ドア)はセミキャップ付スチールホイールとストライプテープ式の車名ロゴが特徴で、廉価グレードでありながら、中期型から運転席ワンタッチ式パワーウィンドウ&電磁式パワードアロックがメーカーオプション設定されていた。最廉価グレードのソレイユは、当時のカローラバン/スプリンターバンよりも小さく取り回しの良いビジネスカー(いわゆる営業車)を求める法人需要に応えるグレードとしてのポジショニングもあり、センターキャップ付スチールホイール+155-SR13タイヤ、AM電子チューナーラジオ+1スピーカー、手動開閉式ドアガラス、手動調整/格納式(当時の表現では「可倒式」)ドアミラーなどの必要最低限の装備に絞られ、フロントワイパーにはミスト機能も間欠作動も付いていなかった(OFF/LO/HIのみ)。マニュアルエアコンはディーラーオプション設定であった。なおリヤワイパー、リヤウィンドゥデフォッガー、4-ABS、運転席SRSエアバッグ、パワーステアリング、デジタル時計、トノカバーなどの設定はなかった。

尚、一部特別仕様車を除いて、GTはパワーウィンドウ&パワードアロック、エアコン、フルホイールキャップはすべてオプション設定。

4WDモデル改FRドリ車仕様が雑誌「ドリフト天国」によって制作された。モチーフは前述のKP61型でフェンダーミラーがついている。


5代目 P9#型(1996年 - 1999年)


1996年1月にフルモデルチェンジ。衝突安全ボディ、"GOA"となる。型式名は前輪駆動モデルはEP91、四輪駆動モデルはEP95、ディーゼルエンジンモデルはNP90。

スポーティーな外観を持つモデルは、それぞれ、4E-FE型エンジン(1331cc)を搭載した自然吸気モデル"グランツァS (Glanza S) "、4E-FTE型エンジン(1331cc)を搭載したターボモデル"グランツァV (Glanza V) "という名称になり、3ドアのみラインナップされた。

ターボモデルには本格的なスポーツ走行を目的とし、快適装備を省いたモータースポーツパッケージ (MSP) も用意された。EP91型のターボモデルでは、安全性に配慮(駆動系の保護と過度のホイールスピンを防ぐ)し、1速(発進時)では加給圧を抑える機構が追加されている。また、任意でブースト圧を低く設定できる「ローモード・スイッチ」は先代から引き継がれている。

4E-FE型エンジンを搭載した自然吸気の通常モデルは"ルフレ(Reflet / Reflet f / Reflet x) "という名称になり、3ドアと5ドアがラインナップされた。EP82型搭載のEFIエンジンと同型式ではあるが、環境性能・運転性などを重視したチューンにより、最大出力が下がっている。

EP91系ターボモデルは、グランツーリスモシリーズや首都高バトル01といったレースゲームに登場している。

1994年5月 - マイナーチェンジで6年間続いたキャンバストップの生産が終了。

1997年 - 各社のレトロ調モデルの追加に合わせ、クラシック風のドレスアップモデルとして"カラット (Carat) "が登場。自然吸気エンジン全車に TDI (Toyota Direct Ignition System) を採用。なお上位モデルのルフレxは、内・外装デザイン以外の性能は自然吸気スポーツモデルのグランツァSと同等であった。

1998年1月 - マイナーチェンジ。同年10月には特別仕様車としてカジュアルRV(RV風)の"リミックス (Remix) "(ラシーンに対抗したモデル。5ドアのみ)もラインナップされ、バリエーションを拡充。

1999年8月 - ヴィッツに1300cc車が追加されるのに伴い生産・販売を終了。


車両型式と姉妹車


型式(かたしき)表記はトヨタの通例どおりで、"KP##"、"EP##"などである。最初のアルファベットはエンジン型式、後のアルファベットの"P"は車種「スターレット」を意味する。"P"は初代モデルであるパブリカスターレット、およびその先代のパブリカから引き継いだもの。

また、トヨタ自動車には、スターレットとサスペンションやパワートレイン(エンジン、トランスアクスル)を共用する、ターセル、コルサ、カローラII(共に型式は"L"。これらのハッチバックが類似車。)が存在するが、スターレットは単独の型式"P"を持つため、姉妹車の扱いとはなっていない。両系列共に第2開発センターの車種であるが、開発チームも分かれている。


車名の由来


英語で「小さな星」の意味の名詞、starletから。

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