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編集者:kosugi
編集内容:コンセプトに関する誤解と、脱線が多く見られたため修正

デファイアント

でふぁいあんと

デファイアントは、イギリス空軍の第二次世界大戦期に用いたレシプロ戦闘機。前方銃を持たず、旋回機銃のみを武器とする。大英帝国の生んだ奇妙奇天烈・摩訶不思議。

メーカーはボールトンポール(イギリスの飛行機メーカーであり、第二次世界大戦中には主としてブラックバーン・ロックフェアリーバラクーダなどの他メーカーの航空機の組み立てで活躍、現在は合併等を経てGE・アビエーション傘下)のレシプロ単発戦闘機

旋回銃座を背負う一方で機種方向には一切の武装がない(旋回機銃も射角制限で正面は狙えない)という、『デファイアント(挑戦的な)』野菜に相応しい唯一無二の特性を持つ機体である。

この銃座は単に機銃が置かれた座席というだけでなく、油圧によって駆動する非常に高性能なものである……が、そのおかげで非常に重く、機体の旋回性能に多大な悪影響を与えた。

もちろん当のイギリスも、この機体が一般的な戦闘機として問題を抱えていることに気づかなかったわけではない。

ただ当時のイギリスにおいては、高速化・長距離化の一途をたどる爆撃機に足の短い戦闘機の護衛をつけることは困難であるという考えが支配的であった。

ことに敵国との間に大西洋が隔たる英国であれば、本土に飛来する敵爆撃機に護衛など付くはずもなく、迎撃戦闘機は丸裸の爆撃機をいかに効率よく狙い撃てるかについて腐心していた。

そして第一次世界大戦においては、硬式飛行船やツェッペリン・シュターケン大型爆撃機の迎撃には、ブリストルF.2「ファイター」のような複座戦闘機の後部銃座を使った同航戦が効果を発揮したことから、その究極として動力旋回銃塔を積んだ迎撃用戦闘機の考案に至ったのである。デファイアントの生まれそのものは、決して不条理なものではなかったのだ。

運用

挑戦の失敗

デファイアントにとって最大の不幸は、電撃戦によりフランス軍が有史以来稀に見る惨敗を喫し、フランスが丸ごとドイツの手に落ちてしまったことである。

これによりドイツ軍は、最狭部で34kmしかないドーバー海峡を挟んで英本土に肉薄し、爆撃任務に戦闘機の護衛を付けられるようになってしまった。

一応英軍も無対策ではなく、事前の研究に基づき戦闘機(デファイアント)を戦闘機(スピットファイア)が護衛する珍妙な戦術が構築されたのだが、これがまぁ上手くいかなかった。

デファイアントは大型の銃座を搭載する都合、無線アンテナを機体下面に張る必要があったため、機体が電波を妨げてしまい通信感度が悪く連携戦術に不向きだったのである。

更に搭乗員にとっては不幸なことに、旋回機銃内は狭いので機銃手はパラシュートを装着できず、緊急脱出も困難だった。通常の乗り降りでさえ機銃を上に向け、さらに旋回機銃も前方に向けなければならないのだ。当然墜落中にそんな悠長な事をしてるヒマは無かった

一応旋回機銃の火力・精度は本物なので、敵が後ろ上方から突っ込んでくれば撃墜することは可能であった。

後ろ上方からの降下攻撃は空中戦の定石ということもあり、当初は一定数の敵戦闘機を返り討ちにしてみせたが、正面機銃が無く、また見た目の割に動きが鈍いことがバレると無防備な下方にやすやすと回り込まれて一方的に射撃の的になってしまう。

そのうちスピットファイアの機数が揃ってくると、そっちで爆撃機を直接迎撃したほうが早くて安全になってしまい、デファイアントは一線を退くことになる。

闇に隠れて生きる

さて、1942年には第一線から引き上げられてしまうデファイアントだったが、夜間戦闘機に転用されることになる。

奇襲が旨とされた夜間爆撃には基本的に戦闘機が随伴せず、闇夜の中であればデファイアントが想定していた通りの条件が整ったのである。

こちらは機銃手が斜め銃のような役割をする事で、ある程度の戦果を挙げたようだ。

そのまま転用された機体はNF.Mk1と呼ばれた。レーダーを搭載してNF.Mk1Aとなる。

その後レーダーとエンジンに改良を加えられてNF.Mk2に発展した。ただレーダー手はパイロットと兼任で、使いにくいと不評であった。

しかしながら、あくまで”そこそこ活躍”にとどまる。

低出力の単発機に無理やり動力銃塔を乗せたデファイアントは速度性能に劣っており、護衛を伴わない爆撃機相手であっても射撃位置に付くには苦労を伴った。

一方できっちり射撃位置につくことができる前提であれば、動力銃塔はオーバースペック。

夜間同航戦で敵爆撃機を仕留めようとする発想は敵国のドイツや日本でも生まれたものであるが、彼らが使用したのは動力銃塔ではなく、後部に固定されたいわゆる「斜銃」によってであった。Bf110月光屠龍

つまりデファイアントは仕様通りの環境ですら優秀とは言いがたかったのである

結局41年半ばには、上昇力、速度に優れた双発戦闘機のモスキートが活躍し始めているので、デファイアントは「つなぎ」として運用された程度で夜間の戦場からも退いていく。

その後のデファイアント

その後は旋回機銃を取り外し、訓練機や標的曳航機などの雑用機に転用された。

レーダー妨害機に使われた機もあったが、基本的に前線からは離れたが後方で多用途に使われたのだ。

ユニークだったのはASR.Mk1という型だ。海で漂流者を探し、圧縮空気で膨らむゴム製救命ボートを投下する役割である。同じような用途ではアメリカのSB-17救難機があるが、こちらは通常のボートが使われた。

また日本では使い捨ての救命ボートという概念がなく直接着水できる大型飛行艇水上機がこの任に当たった。

イギリス軍はデファイアントの動力銃座が爆撃機などに一定の効果があったことから、新型夜間戦闘機には高速であることやレーダーの装備の他に強力な動力銃座の装備を要求した……のだが、モスキート等での試験の結果が芳しくなかったため結局後継者が現れることはなかった。

他方アメリカ軍でも夜間戦闘機の必要性からノースロップに開発を依頼、この機体はP-61ブラックウィドウとして完成するのだが、当初搭載していた動力銃塔は、やはり機体の飛行に支障を来すということで後に廃止されてしまっている。

なぜ失敗作と呼ばれるのか

まずやりすぎである。

イギリスはもとより、他国で開発された機体でも、問題を抱えていた機体は多く存在しており、高速化に夢を抱きすぎて格闘戦で苦戦を強いられた機体はBf110ボーファイターなど数しれず、また一般に名機とされるBf109も、航続距離の短さからイギリス上空での戦闘には大きな制限がかかっていた。

しかしながら、速度に特化した双発機と入っても出来る範囲で運動性能は追求するものだし、航続距離が短い機体もタンクの増設や増槽の装着などで対策が考えられていた。

軍事の世界は何が起こるかわからないので、プランBは常に検討しておくべきものである。

ところがデファイアント、コンセプトに腐心するあまり、双発機ですら重量を嫌ってそうそう積まない動力銃塔を選択し、一方で爆撃機ですらお守り程度に搭載している正面武装を完全に排してしまった。

軍用機がここまで特定のコンセプトを一途に突き詰めることはめったになく、アレとかソレとかが脳裏をよぎる狂気的な割り切りである。

そしてこれほど特化した設計をしておきながら、そのコンセプトの枠内ですら最適解とは言い切れなかったのがまた哀しい。

動力銃塔はその射撃精度では補いきれないほどに機体の性能を損ない、機体が射撃位置につくのを遅らせてしまうため、総合的に見れば斜銃を使うなり、素直に正面兵装を使用するなりしたほうが効率が良かったのである。

自身の正しさをつゆほども疑わずコンセプトを貫き、結果明後日の方向に直進して砕け散る、負の英国面の一つの象徴として、デファイアントは今も語り継がれている。

競作機の存在

駄っ作機として名高いデファイアントだが、競作機があったことはあまり知られていない。その名はホーカー ホットスパー。名門ホーカー社が競作に参加していたのである。

 

ところがこのホットスパー、デファイアントやロックと異なり、7.7mm1丁だけだが前方銃を搭載していた。デファイアントに軍配が上がったのは表向き「飛行性能で劣っていたから」だそうだが、本音は前方銃をつけたことが気に入らなかっただけだろうと邪推せざるをえない。

 

まぁ、そのおかげでホーカーは普通の戦闘機(ハリケーンタイフーンテンペスト)に専念できたわけだが。

創作等

吉岡平の『ニカウンガの砲声』に登場。第二次世界大戦から数年後のアフリカで、低速&低空飛行で装甲列車を追い抜きながら銃塔を横に向けて機銃掃射するというこんな機でしか出来ない戦い方を見せたが、装甲列車の護衛についていた主人公機にあっさり墜とされる。なお主人公は珍しい機体だからと、撃墜する前に私物のカメラで記念撮影をしていた。

映画スターウォーズに登場する帝国軍戦闘機・TIEファイターのバリエーションの一つとして「TIE/sf」という機体が存在しているが、本機はパイロットと旋回銃塔担当の砲手による複座となっている。恐らくSFSの設計者にもフォースの英国面に堕ちた者がいるのかもしれない…

編集者:kosugi
編集内容:コンセプトに関する誤解と、脱線が多く見られたため修正