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Bf110

べーえふふんだーとつぇーん

ドイツ、バイエルン航空機の開発した戦闘機。戦間期に流行した『双発戦闘機』であり、もちろん単発・単座の戦闘機には太刀打ちできなかった。以降は東部戦線で戦闘爆撃機として使われ、戦争後期には夜間戦闘機としても使われた。
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『双発・万能戦闘機(ドイツ版)』編集

戦間期、全世界の空軍では双発戦闘機が流行していた。

もちろんドイツにもその波は押し寄せ、ヘルマン・ゲーリング長官の肝いりで開発が始まった。開発は7社から開発プランが寄せられ、中でもヘンシェル、フォッケウルフ、バイエリッシュ航空機の3社の案が試作される運びとなった。中でもバイエリッシュ航空機の試作機が採用されることになったが、これは要求仕様に従わずに爆弾倉を備えなかった機である。


政治的圧力、ならびに高性能が実現の後押しとなり、1936年5月12日に初飛行を遂げた。

性能は良好なもので、当時のBf109試作機)が最大470km/hなのに対して、こちらは509km/hを記録した。1937年には制式採用が決まり、長距離を巡行して大火力を備える『駆逐機』として期待がかけられた。


駆逐機と電撃戦編集

Bf110は電撃戦と共に発展した。1938年の終わりにはDB601エンジンが完成し、本来の性能を発揮できるようになった。Bf110C-0は最高速度545km/hを記録しており、さらに7.92㎜機銃4門と20㎜機銃2門を機首に装備している。


これは絶大な火力という事ができる。ポーランド侵攻から実戦に参加し、対地攻撃を得意とする戦闘爆撃機として活躍した。ただし戦闘機相手ではそうもいかず、1940年の『バトル・オブ・ブリテン』では一方的なまでの惨敗を記録している。

戦闘機としては重量がありすぎ、軽快な単発戦闘機に太刀打ちできなかったのだった。


Bf110の評価編集

諸外国でも同様の結果が出ているため、「双発複座戦闘機」という思想自体が失敗であることは否めないが、Bf110単体の評価として見た場合、若干不当な面がある。というのも、Bf110自体、その形式号がバイエリッシュ社時代のものであることからわかるように、そもそもJumo210・DB600の世代(=戦間期世代ということ)の機体であり、バトル・オブ・ブリテンの頃には旧式化していたのだ。(日本で言えば九七戦九六艦戦の世代の機体である)


Bf109はうまくDB601以降の世代に適応することに成功したため錯覚しやすいが、相手はスピットファイアにしろハリケーンにしろ、最初から(DB601・Jumo211など大戦前半世代の)ロールスロイス『マーリン』を前提として設計された機体だから、Bf110が歯が立たなくてもしょうがなかったんである。むしろノルウェー進攻までよく働いたものである。


双発戦闘機の生きる道編集

ただし、前述のとおり戦闘爆撃機としてなら存分に活躍している。

地中海アフリカソビエト(東部戦線)では長い航続距離を生かして対地支援に奔走した。もちろん一撃離脱戦法は得意であり、これを生かせば戦闘機を撃墜する事も出来る。


Bf110C-4/Bは爆弾を搭載できる戦闘爆撃機として改修されており、以降の型はこれに倣うようになる。続くBf110Eはエンジンを換装した改良型で、搭載量を強化している。さらに最終型となる(はずだった)Bf110Fは更なるエンジン強化で、防弾が厳重になった。


しかしBf110の要求されたアフリカ戦線では、単発でBf109やFW190と互角以上の格闘戦ができてなおかつ航続距離はBf110より上という、F4Fワイルドキャットというイヤーンな機体が出張ってくるようになるのである。ちっとは同盟国を頼れや(但し、アーリア人至上主義からすれば『有色人種に助けてもらう』なんて以ての外の選択肢でもあったのだが)。


あるべきだった姿……編集

さてこの頃になると、アメリカ軍が北アフリカにやってくる。海軍の空母から飛び立つF4Fがイヤーンな存在になったのは先の通りだが、米陸軍はP-38ライトニングという双発戦闘機を投入してくる。このP-38、元は高々度迎撃機として開発が始まったものだが、実際には長大な航続力を持ち、迎撃のほかに、爆撃機の護衛、対地支援、と、何でもござれの万能振りを見せた。あれがBf110のあるべき姿だったのに……どうしてこうなった


さらに生きる道編集

さて鳴り物入りで登場し、欠陥がアダとなって引込められる事になったMe210だが、問題はそのあとの穴埋めとなった。対策としてBf110が再生産されることになり、更なる改良・強化型のBf110Gが登場した。この型はエンジンが換装されてDB605となっており、これはBf109Gと同じエンジンである。最高速度は550km/h(レーダーなし)を発揮でき、Bf110Fまでが担当した役回りをすべて受け継いだ。


この頃にはドイツ本土も空襲を受けるようになっており、本来の用途に近い爆撃機の迎撃任務にも多くが宛がわれている。夜間戦闘機としては既にBf110F-4が活躍しており、G型系統も迎撃機として投入された。G型には従来通りの戦闘機型(G-1)、昼間の戦闘爆撃機・迎撃戦闘機型(G-2)、偵察機型(G-3)、そして夜間戦闘機(G-4)がある。


後にこういった用途は別の機が引き継いでいく事になるが、すでに生産体制が確立していたBf110は夜間戦闘機や偵察機など、割と長く使われている。実際に生産は1945年まで続けられており、もはや高性能でこそないが、それでも他の戦闘機にはない航続距離などの性能を生かして運用され、貴重な戦力とされていたことが窺える。


そのあとのその後(Ju88の活躍)編集

ただし性能は1944年には旧式化しており、Ju88戦闘機型(C型・G型)が後を受け継いだ。特にBf110G-4はレーダーのアンテナが空気抵抗となって性能を落としており、速度に優れたJu88は夜間戦闘機としても活躍している。


さらなる高性能を求めてHe219も開発されていたが、

Ju88はすでに生産体制が確立しており、数を揃えられる。

・性能的には確かに下だが、乗員の訓練などでは有利。

(今までに訓練した乗員がそのまま使える)

などの理由でJu88は主力の座に留まり続けた。


主な派生型編集

Bf110V編集

1936年10月24日に初飛行を遂げたBf110の試作機でV1からV3までの3機が製造された。要求仕様ガン無視のおかげもあって性能はライバル達よりも高く、採用を勝ち取った。V3では機首に7.92mm機銃MG17を4挺搭載して武装の試験用とされた。


Bf110A編集

続いて製作された増加試作型で、生産の遅れていたDB600エンジンの代わりにユモ210Bを搭載。4機製作。


Bf110B編集

DB600を諦めてDB601を搭載する予定だったが、実際にはそれも遅れてユモ210G/Gaを搭載したもの。設計を見直して空力を高め、武装も機首のMG17に加えて20mm機銃MGFFを2挺追加した。しかしエンジン生産遅延の事もあって所詮は「つなぎ」であり、生産は45機で終わった。


Bf110C編集

エンジンには待望のDB601が搭載され、ようやく本来の性能となった実戦型。大きな空気抵抗となっていたオイルクーラーも、Bf109のように主翼下面に移設されて性能が良くなり、540km/hもの最大速度を発揮できるようになった。しかし戦闘機としてはバルカン半島などで旧式戦闘機を相手にできる程度の能力でしかなく、最新世代の戦闘機と空戦して勝てるものではなかった。速度には優れても小回りが利かないことから「バトルオブブリテン」では大損害を負うことになる。

Bf110C-1編集

実戦向けに量産された最初の型で、武装は機首の7.92mm機銃MG17(4挺)と20mm機銃MGFF(2挺)、後席に7,92mm機銃MG15が1挺。

Bf110C-2編集

無線機を換装したマイナーチェンジ。

Bf110C-3編集

機首下面のMGFFをMGFF/Mに換装したもの。

Bf110C-4編集

C-3までの変更内容に加え、コクピットに防弾装甲を追加したもの。この頃にはバトルオブブリテンで大損害を負った戦訓から戦闘爆撃機として運用する研究が始まっており、胴体下に250kgまで対応した爆弾架を搭載してBf110C-4/Bとしたものもある。

Bf110C-7編集

エンジンをDB601Nとした戦闘爆撃機型で、ETC500爆弾架への変更に加えて車輪の構造も強化して、最大1000kgの爆装が可能になった。


Bf110D編集

ノルウェー方面向けの長距離戦闘型で、とくにD-0やD-1/R1では胴体下面が大きく膨らんだ「ダックスフントの腹」という胴体一体型増槽が装備された。しかし大幅に外形が変わったとおりに空力は悪化して操縦性も悪くなり、更に燃料を中途半端に消費した状態での戦闘は燃料がタンク内で暴れまわって危険だったとされ、さらに気化ガソリンが操縦室にまで上がってきて、操縦士は冷や汗をかきながらの操縦を強いられたという。更にこのタンクは機首をすっぽり覆っている形状のために、2挺のMGFF/Mは取り外さなければならなかった。結果、この「ダックスフントの腹」は生産型で廃止され、かわりに両翼に大型増槽を吊架することで妥協することになった。

エンジンはC型と基本は同じだが、D-3ではBf109E-7/Nと同じくDB601Nを搭載している。

Bf110D-2編集

両翼の増槽架に加え、胴体にETC500爆弾架を装備した戦闘爆撃機型。搭載される増槽は容量900ℓの大型のもので、Bf109などで使われた増槽の3倍の大きさがある。


Bf110E編集

C-7と同じくDB601Nを搭載し、さらに爆弾架を主翼にも増設した型。これにより爆装では最大で500kg爆弾2個と50kg爆弾4個を搭載できるようになった。また主翼には300ℓ、胴体には900ℓの増槽も搭載できる。防弾強化や構造補強が行われたため、出力向上にかかわらず性能は殆ど向上していない。

このBf110EはC/D型と共に初期の夜間戦闘機としても投入され、E-1/U1では赤外線暗視スコープ「シュパナー」を装備する。他にもE-1/U2は胴体下面の爆弾架を1000kgまで対応するETC1000として、戦闘爆撃機としての能力を強化した。


Bf110F編集

E型と並行して生産されたエンジン強化型(DB601F搭載)で、最大速度は560km/h程度に向上。他にも乗員への防弾装甲は更に強化されている。F-1ではE形系統と同じく戦闘爆撃機となっている。F-2は対爆撃機用の駆逐戦闘機型となっていて、爆弾架は撤去している。

Bf104F-4編集

夜間戦闘機型であり、両翼には増槽架が標準となった。機首のMGFF/MはMG151/20へ換装され、更に7.92mm機銃4挺は30mm機銃MK108の2挺へ換装することも可能。機上レーダーは例外的な装備で、多くはレーダー基地からの誘導を頼りにするか、サーチライトを手掛かりに目視で接敵した。斜め銃「シュレーゲ・ムジーク」を初めて装備するようになった型でもある。


Bf110G編集

Me210の失敗から再生産されるようになった型で、エンジンはDB605となり、武装にも多くのオプション装備が追加された。重量増加は著しく、機首部分の重量増加(重量変動)に対応するためトリムタブを大型化したり、エンジン出力に抗って尾翼の面積を増やすなどの手直しも入っている。機首はとくにMk.108搭載仕様へ改造されたものが多いようである。

Bf110G-4編集

初めて機上レーダーを実装した夜間戦闘機型で、操縦士・航法士に加えてレーダー手が搭乗して3人乗りとなった。機首には特徴的なレーダーアンテナが付きだすようになり、この仕様によっても細かく分類されている。


Bf110H編集

エンジンにDB605Eを搭載した最終生産型とされるが、詳細ははっきりしない。文献によっては否定されることも。


搭乗した撃墜王編集

ハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー:所属した基地の場所から、「サン・トロンの幽霊」として連合国軍に恐れられた夜間戦闘の撃墜王。

夜間戦闘機であるG-4型に乗り込み、夜間戦闘のみで121機を撃墜した。

夜間戦闘における撃墜数ではドイツ空軍第1位である。

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