概要
実は一度1942年に放棄されていた開発案を再設計したものである。
イギリス空軍の夜間爆撃が本格化するなかで、再び脚光をあびた。
初飛行では最大時速615km/hを記録している。これは当時ドイツ軍が保有していたどの夜間戦闘機よりも高速であった。(実戦仕様は585km/hに低下)
また戦闘機にしては超大型の機体で、全長約16m・全幅約18mと、当時の中型爆撃機(ノースアメリカンB-25)やP-61に並ぶ大きさである。
降着装置は当時としては珍しい前輪式で、操縦席には空気圧式の脱出装置も備わっているが、これらはジェット化を考慮してのこととされている。
愛称としては『ウーフー(ワシミミズク)』が知られているが、公式ではなくパイロット達の呼び名が定着したようである。
夜の憂鬱
He219最大のライバルとなったのはユンカースJu88である。
1944年当時、すでに空襲は夜間にまで及んでおり、迎撃戦闘機として重武装で高速な機が要求される。当初は爆撃機(高速爆撃機)として開発されていたJu88だったが、双発のパワーを生かして今度は対爆撃機用の迎撃機として活路を見出していた。
その性能はJu88G-6で20mm機銃6門に最大速度540km/h。地道な改良や新型エンジン導入の甲斐あって火力は同等、さらに速度ではHe219から一段劣るくらいの性能を実現していた。
対するHe219はエンジンに恵まれず、性能不十分なエンジンでの生産開始を余儀なくされた。
代替エンジンは出力で1~2割は劣っており、これはもちろん性能低下を招いた。
Ju88よりも大型な機体に、同クラスのエンジンなど積もうものなら性能は明らかで、空軍上層部での結果は『確かにJu88よりも高性能だが、生産や乗員の都合を考えたらHe219は劣る』とされるのも無理はなかった。
一応、本来のエンジンで最大速度670km/hを予定していたようだが、実際にはエンジンの供給が追いつかなかった。エンジンのせいで性能に泣かされるというのは戦闘機にもよくある事である。
「生産と乗員の都合」
工場で初めて作る製品より、既に作りなれた製品のほうが生産しやすいのは自明のとおり。
また、乗員も訓練が必要なのだが、
・爆撃機のパイロットに迎撃の仕方を教える
・新型機の飛ばし方から教える
どちらが早いかというと、既に飛ばし方が分かっている前者の方が早かった。
またHe219は機体下部の武装パックを交換することで容易に武装を変えられるという長所もあったが、その武装パックのバリエーションは20種類以上と無駄に多く、生産効率を悪くしていた。
そういうわけで迎撃機としてもJu88の方が都合がいいとされ、He219は揮わない性能ともども主力にはならなかったのだった。300機が発注されたようだが、完成はそれよりも少ない模様。
夜間戦闘機VS夜間戦闘機
もちろん、一番の敵は護衛のモスキート(夜間戦闘機型)である。
高速で知られたモスキートは夜間戦闘機としても優秀で、迎撃のドイツ戦闘機を返り討ちにしていった。
He219にはモスキート対策として軽量化された型も開発されていたが、もとよりエンジンのせいで揮わない性能では太刀打ちできる訳もなかった。
だが一応やられっぱなしでもなく、撃墜記録もあるようである。