概要
経歴
榛名高等学校、上武大学、社会人野球・東芝を経て2011年ドラフト1位でオリックス・バファローズに入団。
2012年は即戦力として期待されたが、50試合で打率.159、4打点といまいちな成績に終わった。
2013年に遊撃手のレギュラーを獲得し、131試合に出場。4月5日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初ホームランを記録した。
2014年は143試合に出場で45犠打とつなぐ2番に徹し、優勝争いに大いに貢献した。
2016年に指定難病の一つである潰瘍性大腸炎を患ってからも引き続き遊撃手のレギュラーを勤めていたが、2021年に紅林弘太郎が台頭してからは主に二塁手として出場するようになった。
2024年は故障や体調不良等で選手としては一軍を離脱しても、シーズンを通して一軍に帯同してもらいたいという球団の意向で選手兼任内野守備・走塁コーチに就任。しかし、5月1日の千葉ロッテマリーンズ戦で1イニング3エラーをしてしまったことをきっかけに(自身の持ち味である)守備について悩むようになり、この年限りで現役を引退。翌年からそのままコーチ専任となった。