概要
本名は「村田長治」。
福山電波工業高校を経て、1967年のドラフト1位で東京オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)に入団。
1年目の1968年は調子が振るわなかったものの、翌1969年に頭角を現し、6勝を挙げる。1970年にはリーグ優勝を経験した。
選手引退後は、福岡ダイエーホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)でコーチもつとめた。
マスターズリーグなどでは齢五十を過ぎてなお130㎞後半の速球を投げるなど老いてその剛腕は衰えぬ球界の鉄人。
プレースタイル
ゆっくり、かつ大胆なモーションで投げる「マサカリ投法」と、そこから繰り出されるノビのある直球とすさまじい落差のフォークボールが代名詞。だが、あまりにモーションが遅すぎて、相手バッターに球種を読まれてしまうこともあった。
が、彼もそれに対抗して投球モーションの途中で握りを変えるという離れ業を編み出している。
珍記録
通算暴投数148は日本記録で、2位の石井一久の111個を30個以上も引き離している。
とはいえ、バッテリーの袴田英利捕手は彼のすさまじい落差のフォークをしばしばノーサインで取ってたらしいので、仕方ないといえば仕方ない。