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身分の高い人物の妻のうち、「正室」以外のをさす言葉。


東洋では

アジアなどの東洋圏やイスラム圏では比較的多く見られ、また側室の子も正室の子に劣後しやすいものの父親の位の継承権を持つ場合が多い。


日本でも、昭和22年の皇室典範改正に至るまで、長きにわたって側室の子が継承権を持つのが当たり前であった。皇室や幕府の将軍家、大名や公家に至るまで、側室の子が継承した例は数多く存在する。

皇室においては、正室を皇后または中宮と称し、その下に女御更衣といった位の高い正式な側室、そして女官と側室との境の曖昧な典侍といったランクに分かれていた。時代が下ると皇后と中宮が揃って置かれる例は殆ど皆無となったばかりか、どちらも置かれない例もしばしばあり、女御が正室代わりとなり、典侍が側室代わりとなる事例も増加している。


江戸時代では、徳川家康の遺言もあり「長幼を重視すること」とした江戸幕府将軍家において、嫡庶以上に長幼を重視し、正室の次男以下より側室の産んだ長男が跡継ぎとして優先された。

幕府15代のうち、正室から産まれた将軍は家康を含む僅かに3名、うち将軍の正室である御台所の子は3代将軍家光ただ一人(残る慶喜は水戸家出身)である。

なお、皇室ではその限りではなく、あくまで嫡庶を重んじた上で、正室の子が望めない場合に側室の子が継承していくというシステムを取っていた。


しかし、例えば日本では明治時代以降西洋文化に色濃く触れるようになり、側室を持つというシステムそのものが「外国に合わせる」という形で改められるようになる。

明治天皇の場合、皇后(明治以降の正室の称号は皇后のみが採用された)である昭憲皇太后との間に子を成せなかったため、幾人かの典侍との間に子を成し、その一人が後の大正天皇となった。しかし大正天皇の体調を慮って体が丈夫な后を、と選ばれた貞明皇后は期待通り四人もの男子を成したため、ここに皇室の側室制度は暗黙の裡に消失した。

昭和天皇の代には香淳皇后との間に4人連続で女子が誕生したことから、側近より「側室を設けられては」と進言されるも、天皇は「良宮(香淳皇后)で良い」と意に介さず、その後第五子として皇子(現在の上皇明仁陛下)が産まれたことから、結局設けられてはいない。

その後前述の通り皇室典範の改正により、庶子が継承出来る制度そのものが撤廃されたため、側室制度は完全に消失した。

なお、今日では日本では民法改正により庶子(法律用語としては非嫡出子)に対して財産を平等に与えるように規定されたが、一方で今も続く皇位継承問題において、庶氏継承は即ち側室の肯定に繋がり、それが現代の観点にそぐわないのではとの理由から半ばタブー視されている。


日本以外の諸外国でも、側室の子が継承するという機会は徐々に減っているが、例えばタイでは現国王ラーマ10世が側室制度を復活させるという事例があった(但し、側室に選ばれた女性との関係は後に解消されている)。カンボジアでは嫡庶の情報が正確ではないが、現シハモニ国王は先王シハヌークとその6番目の妃との子である。


中東では

イスラム圏においては、妻帯は四人まで認められるとされ、四人目まではいずれも「正室」である。しかし王侯においてはしばしばそれ以上の妻帯を行う例が見られ、オスマン帝国などでは「ハレム(ハリーム)」(今日のハーレムの語源)という多数の女性を抱えた後宮を形成していた。

一説にサウジアラビアの初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードは41人の妻と89人の子女を持ったと言われ、イスラム法上も明らかに何人かは側室と考えられる。


西洋では

特にキリスト教圏ではその教義の影響で愛人として非公式の扱いをされることが多く、しかもその子は庶子として父親の位に対してなんら継承権を有さないことが多い。

例えばフランスでは国王の公的な愛妾として時には政治にまで影響力を持った「公妾」という制度があった(有名なのがルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人やデュバリー夫人)。

彼女らはあくまでポンパドゥール侯爵なりデュバリー子爵なりの妻でありながら、国王の寵姫となるという特殊な立場にあり、王との間に子を儲けると新たな貴族爵位を与えられることもしばしばあったものの、それは国王の後継者というものとは明らかに異なった。


数少ない例外としては、同じくフランスではルイ14世が公妾に産ませた庶子が、王の孫・曾孫に至るまで殆どが先立った結果継承権を与えられる寸前までいったものの、曾孫に当たるルイ15世が幼少ながら王位を継いだ後無事成人したため、沙汰止みとなっている。

各国では強力な婚姻の縛りのある継承法を確立させ、庶子は婚姻規定が大半の王室で自由化された今日に至ってなお継承権より排除されている。


ファンタジーでは

側室という文化の無い西洋文化圏内で書かれた物語においては極めて珍しい存在である。

一方で東洋文化圏内においては度々作中の制度として散見され、しばし西洋的世界観を模したファンタジー世界でも存在することがある。側室の有無が和製西洋ファンタジーの特徴としてとりわけ強調されるというわけではないが、ハーレム的な世界観を作中で公式化するに当たって、第一ヒロイン以外を側室とする手法は、元より側室の概念が色濃い文化圏に生きてきた者が記しがちと言える。

近年ではネット小説の台頭もあり、和製西洋ファンタジー世界を俗に「ナーロッパ」などと蔑称する考えも存在するが、歴史・文化を重視する側から見れば側室制度もまたその一つと言える。

とは言え、読者の価値観も考慮すれば、あくまで愛人でしかも公的には旦那がいる者、という設定は受け入れられるとも思い難く、主人公を基としたハーレム作品では作品の雰囲気や考えを重視して敢えて取り入れられる例もあると言えよう。



著名な人物

日本・戦国時代





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