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概要

 四端が末広がりとなった黒い十字に白い縁取りを施した紋章。ドイツ語ではアイゼルネス・クロイツ(Eisernes Kreuz)、英語ではアイアンクロス(Iron Cross)。足十字(タッツェンクロイツ/Tatzenkreuz)とも呼ぶ。

 ドイツで中世から使用されてきた紋章で、特にドイツ国防軍で勲章として用いられていたことが有名。現在のドイツ連邦軍でも標章(インシグニア)および勲章に採用されている。

欧州の鵙(もず)

 鉄十字(EK)は、元来はプロイセンの、のちにドイツの軍人の記章。プロイセンフリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって、1813年3月10日、ブレスラウにおいて、解放戦争の過程で三つの等級に分けて設立された(Eugène Godet: Was man vom Eisernen Kreuz wissen muß, abgedruckt in der Zeitschrift Uniform Markt, Jahrgang 1935, Heft 2, Seite 9)。最初の鉄十字章は、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世によって、彼の死亡した夫人ルイーゼ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツへ個人的に、死後に授与された。

 鉄十字は、プロイセンヴィルヘルム1世により、1870年7月19日の普仏戦争の開戦時に再び制定された。皇帝ヴィルヘルム2世は、プロイセン王として1914年8月8日、再び鉄十字章を制定し、既に広く行われていた授与を通じて、なかばドイツ勲章へと作り替えた。四度目の制定は第二次世界大戦の開戦時で、国民社会主義独裁者アドルフ・ヒトラーによって、鉄十字章は1939年9月1日、公式にドイツの記章となり、四つの等級に分けて授与されることになった。

 国防軍が標章として用いた「足が広がらない十字」は正式にはバルケンクロイツ(棒十字/Balkenkreuz)と呼ばれ、鉄十字とまとめて黒十字(シュヴァルツェスクロイツ/Schwarzeskreuz)と称されることもある。こちらは現在のドイツでは使われない。

形態、歴史的起源、佩用

1813年から1815年の解放戦争

 勲章の制定のきっかけを与えたのは、中央ヨーロッパにおけるナポレオンフランス帝国の優位に対して始まりつつあった解放戦争で、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、遡って1813年3月17日、ブレスラウにおける「我が国民へ(An mein Volk)」と題する宣言で制定を呼びかけていた(Auch zum Folgenden Herfried Münkler, Die Deutschen und ihre Mythen, Rowohlt Berlin Verlag, Berlin 2008, S. 265–269)。王による図面に基づき、カール・フリードリヒ・シンケルが1813年3月13日、正確な図案の作成を委託された。


「国王陛下は、目下の戦争の間、勲功者のため特別な記章を作り始めることを決定された。それは鋳鉄からなる、銀の中にはめ込まれた黒い十字に形作られ、その表側は滑らかで、いかなる碑文も刻まれず、ただし裏側には、上部に王冠を伴ったFWの花押、中部には三枚の樫の葉、下部には1813年という暦が刻まれる。至尊なる国王陛下御自ら同封の図面を描かれ、正確に図案が仕上げられることを望まれる」(Ansgar Reiß (Hrsg.), Frank Wernitz: Das Eiserne Kreuz 1813–1870–1914. Geschichte und Bedeutung einer Auszeichnung (= Kataloge des Bayerischen Armeemuseums Ingolstadt. Band 11). Verlag Militaria GmbH, Wien 2013, S. 112.)


 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は、鉄十字によって最初のドイツにおける記章を制定したことになった。鉄十字章の授与には、地位、出自、階級、軍人としての等級を問わず、解放戦争における傑出した行動が基準とされた。実際の授与を始める上で、また別の問題が現れた。一般的な兵役の義務によって、あらゆる身分の相違は排除されていた。鉄十字章の制定によって、より多くの軍人の勲章は、例外的な場合を除き多くが除去されることになった。鉄十字章は、より高い位の等級が授与される際には、その前の位の等級の勲章を授与されていることが前提とされた。

 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に採択された等級の区分では、最上級の勲章としての大十字勲章は頸飾として佩用され、第一級は封土受領者の上着に生地の上から縫いつけられることを予定していた。王の考えは、のちに不適当であることが明らかになった。第一級鉄十字章と第二級鉄十字章は、現在ではその都度、ボタン穴や胸の左側に、によって結びつけられ佩用されることになった。胸の十字はこのように、元来は第一級の勲章として独自に制定されたのではなく、単にこの等級を特徴づけるため追加されたものだった。鉄十字章のために新しい綬は作られず、既に既存のプール・ル・メリット勲章に用いられた、白と黒の綬が転用された。そのようにしてカール・フリードリヒ・シンケルは最終的に図案を完成させた。という勲章の材質には象徴的な意味があった。多くの当時の軍人の勲章とは異なり、鉄十字章の材質からは貴金属が意図的に退けられた。この卑金属からなる、銀によって取り巻かれた黒い鋳鉄の記章は、騎士的な義務の遂行と、プロイセン兵士の自制心に向けられるものとされ、加えて古代神話における、新たな戦争によって始まる「鉄の時代」を仄めかすものとされた。プロイセン国家は1813年3月31日から裕福なブルジョワ夫人や貴族の女性からの装身具を安価な鉄の装飾品との交換で集め始めていた(「金を私は鉄のため与えた」「金を守りに、鉄を誉れに」)。政治学者ヘルトフリート・ミュンクラーは、加えて1812年の愛国的な詩人エルンスト・モーリツ・アルントの「祖国の歌」との関連を見て取っており、その歌は以下の言葉から始まっている。「を育ませたるは、奴隷を望まない……」

 新たな栄誉賞の形状もまた象徴的な意味を負わされている。ドイツ騎士団の梁型十字への依拠は意図的なものだった。すなわち、14世紀以来、ドイツ騎士団が身に着けていたような、白いコートの上の、広い梁型の縁を持った黒い先広十字という形状が意識されていた。こうして、目下始まりつつある戦争が十字軍の伝統の中に持ち込まれ、宗教的に聖化されることが見込まれた。鉄十字章における象徴的な中心には、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妻、王妃ルイーゼが据えられていた。彼女の1810年の死以来、彼女には手本とすべき夫人、愛情深い、プロイセンの聖女殉教者としての神話がでっち上げられ、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は鉄十字章によってその神話を結びつけた。制定の期日を、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世は実際よりも遡って、シュレジエン特権階級の新聞が鉄十字章の制定を報じた1813年3月20日ではなく、ルイーゼの誕生日である3月10日に位置づけている。ルイーゼは新たな勲章の最初の受章者として、死後に鉄十字章を授与されている。フリードリヒ・ヴィルヘルムは彼の死んだ妻とこの新たな勲章の関連づけに大きな価値を置き、彼の宮廷説教師であるルーレマン・フリードリヒ・アイレルトを、この人物がポツダムにおける軍営教会へ、あまりにもわずかにしか説教に赴かないという理由から非難していた(Philipp Demandt, Luisenkult. Die Unsterblichkeit der Königin von Preußen, Böhlau Verlag, Köln 2003, S. 212)。新たな勲章はプロイセンの王立鋳造所において鋳造された。

1870年・1871年の普仏戦争

 普仏戦争の勃発に伴い、1870年7月19日、ヴィルヘルム1世によって、鉄十字章は彼の母ルイーゼの命日に最初の復活を遂げた。今やそれはプロイセンのみならず、全ドイツ連邦国家の市民に対して授与されることになった。フランスに対する戦勝(1870年9月1日)25周年を契機として、国王ヴィルヘルム2世は1895年8月18日、製の三つのの葉の飾りを添えられ、記念の数字「25」を伴い、大綬に留められる形の鉄十字章を制定した。これは後に国民社会主義者によって鉄十字章の最上級騎士十字章に用いられることになる樫の葉の最初の例である。

 後の東アジアにおける1900年・1901年の武力紛争ドイツ領南アフリカにおける蜂起において鉄十字章は授与されなかった。

第一次世界大戦

 3度目の鉄十字章の制定を、ヴィルヘルム2世は1914年8月8日の第一次世界大戦の勃発に伴って行った。1915年6月4日の布告により、1870年の鉄十字章の所有者たちは「1914」の数字を伴った小さな鉄十字章を授与された。新たな勲章を、佩用者たちは(戦勝25周年の)銀製の樫の葉の上に銀の留め金で綬に止められた鉄十字章と共に公然と身に着けるようになった。

第二次世界大戦

 4度目の、そして最後の鉄十字章の制定は、1939年9月1日の第二次世界大戦の勃発に際して行われた。1914年の鉄十字章の佩用者は新たな鉄十字章を授与されなかったが、綬もしくは元の十字に直接取り付けられる留め金を授与された。

 1870年・1871年の戦争を契機に行われた更新以来、ピンで留める十字が第一級鉄十字章として独自の記章になっていた。大十字は第二級鉄十字章や第一級鉄十字章のようにほぼ2倍の大きさだった。大十字の形は1939年、騎士鉄十字章と改められ、これは確かに大十字章よりも小型だったが、第二級、第一級よりも大きかった。

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