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103系の編集履歴

2018-09-17 18:23:16 バージョン

103系

ひゃくさんけいまたはいちまるさんけい

日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した通勤形直流電車である。

概要

1963年から1984年まで101系の改良型として製造された。グループ全体で計3,447両が製造され、改造編入車を含めると実に3,503両にもなる(なお、1970年に事故廃車を出しているので、一度に3503両が在籍したことはない)。今なお世界で一番多く製造された電車車両となっており、JR東日本E233系でさえ総数3,197両のため、この記録は今後二度と破られる事は無いだろうと言われている(鉄道車両全般で見れば、ワム80000形の26,605両が最多)。


首都圏や関西圏における駅間距離の短い線区での使用が前提であった(最初に投入された山手線がその典型)が、後に増備や転用に伴って常磐線山陽本線といった駅間距離の長い路線にも投入された。一部の車両は105系に改造された他、訓練車・入替車、VVVFインバータ試験、DDM試験での使用を目的に改造された車両もある。またインドネシアへ譲渡された編成も存在する。なお、日本国内においては地下鉄乗り入れ以外で、私鉄や第3セクターに譲渡されたり、乗り入れを含めて運用された例はない。


本来であれば103系が存在するはずもない北海道でも目撃されているが、当地へ渡った車両は衝突実験に使用されたようである。だが実際の使用目的が公にされることはなかった為に詳しい事は一切不明である。

構造

車体

構体

車体は概ね101系をさらに量産仕様にしたもの、といっていいほど印象が近似する。但し床面構造が変更されたため厚さが60mm薄くなり、床面高さ自体は存置されたので台枠下面がその分上がっている。運転台窓は上下寸法が改められたため101系より細くなったほか、運転士が線路から受ける圧迫感を減らすため若干上に移動した。

床材は101系では芯にコルクを用いたリノール充填がなされていた。これは工程に時間がかかるほか耐久性に難があったため、鋼板の上に床材を貼った簡素な構造に改められた。

101系では後年関西地区の水害で浸水被害を受けた編成にて床材のコルクが吸水膨張を引き起こし、修理が金額的に困難となったことから大量廃車が出るなど、日常の足の確保という点でも問題があった。こうした問題は一掃された。

ドア

ドアの戸閉機構は西武所沢工場が開発したST式を用いている。1エンジンで駆動するので調整は基本的に不要であるが、2枚とも同時に動くため寒地での半自動扱い(人の手で開け閉て)には2枚動かす必要があるため動作が重くなりどちらかと言えば不向きである。103系とほぼ同じ車体を用意した72系970番台で115系のドアエンジンを使っているのはこのためである。

最終的にこうした線区での半自動ドアは、20世紀末あたりからは自動ドアに個別の開閉スイッチをつけた押しボタン式に移行することで、ST式のままでの寒地使用の問題点を解消した。

空調

1冷房

登場時点では冷房化は考慮されていない。このため、後に冷房改造を受けたり冷房付きで製造された車両が出たが、天井の見付が乱雑なこと、速成を優先した結果熱貫流率・断熱材量の見直しまでは至っていないことから冷房運転時の消費電力も多めである。

2暖房

暖房も初期車は1両6kWと小さく、いくらラッシュ時には暖房しないといっても温暖地ですら不足するため、11kWに増強された。仙石線向け転用車や逆に仙石線から編入改造とともに転用された3000番台は仙台地区の気候に対応するためさらに増強されている。

電装品

主電動機

電動機は低速域のトルクを重視した結果近郊型以上の標準仕様MT46・54とは特性の異なるMT55を用いることとなった。これ以前の私鉄・国鉄で意図された高加速は電力設備の大幅増強が必要な割に運転本数の増加に結びつかないことから放棄された。通勤電車の高密度運転の条件では、ブレーキ性能を引き上げて高減速運転するほうが効果が大きいと判明したため、それを実現する車輌が求められた。

電力設備が不足する状況下では、101系の当初計画(全電動車)の加速度3.2km/h/s・減速度4.0km/h/sという数値は、6M4Tで2.0km/h/sと3.0km/h/sに大幅後退した。

そのため必要最低限の加速性能、MT同数の編成で起動加速度2.0km/h/sを確保した上で減速度を3.5km/h/sとることが主眼に置かれている。

モーター外形が大きくなり、MT55は直径が680mmとかなり大振りになった(MT46は590mm)。

この結果860mm動輪では装荷できず910mm動輪となり、DT21をベースにした動力台車も軸距の拡大が必要になり200mm延長したDT33(試作車は791系のものを金属バネ化したDT26C)へと変更になった。

定格回転数は85%弱め界磁で1350rpmと吊り掛け駆動方式の高回転タイプ(私鉄のMT40同等品TDK544など)と大差ない数字である。

直流直巻補極つき・補償巻線なし外扇形自己通風電動機であることは従来どおりである。このことは高速運転に際し同等の用途に供される補償巻線つき私鉄車と比べると確かにモーターの製造単価は下がりうるが、弱め界磁率の設定が最小35%にとどまり私鉄車のような25%、15%と言った、より高回転仕様にはなりえない(それらの定格速度も軒並み30km/h台前半で103系とほぼ同程度であるが、最高運転速度が110~120km/hと100km/h止まりの国鉄車両とは大差がある)。

モーター・冷却ファンの外径が大きいこと、ファンの形状が適切でないことから高速運転中のモーター音が大きく(特にISOねじへ移行したMT55A以降)※、住宅至近距離で100km/h近い高速運転する埼京線や現在の関西各線で後述の通り騒音公害源になっている。


※勿論ネジそのものが原因なのではなく、寸法が若干変わっったネジのために周囲をアレンジしたり、取付ミスを防ぐための改設計のうちの何かがファンの騒音に悪影響したものである。

ネジ径3mm程度以下のネジは無理やりねじってしまえばピッチが違っていても入ってしまうので、誤取り付け防止には設計を変えるしかない。

制御器

0番台の主制御器はCS20。

1)3ノッチでは並列段最終段ではなく弱め界磁第2段まで進段、

2)4ノッチによる弱め界磁最終段が接触器で回路構成する、などCS12とは構造が変えられている。

地下鉄乗り入れ車のうち1000番台・1200番台はバーニア制御を用いた超多段式CS40である。

東西線においてはCS20装備の301系と併結した編成も存在したが、額面上の加速度は同じとは言えステップアップしていくタイミングが全て異なるため衝撃を伴いあまり望ましい使い方ではなかった。

筑肥線向け1500番台がCS20なのは国鉄側の線区が完全に郊外電車で、製造・運用コストともチョッパ制御・バーニア制御とも割に合わないため。

抵抗器

地上線用の車両は全て強制通風式。一方地下鉄乗り入れ用はトンネル内への熱風撒き散らしとブロア騒音をへらすため全て自然通風式。但し十分な能力とは言い難かった。

ブレーキ

電気ブレーキは高減速運転に必須なため強化されている。

通常カルダン駆動電車では最高速度の半分強に定格速度を設定し、定格端子電圧の倍程度の耐圧で設計される。しかし103系の場合積極的に低い定格速度を活用して強い電気ブレーキをかけるため、耐圧が900Vまで引き上げられた。

この設計から、ブレーキ初速が95km/hまでは過電圧が発生しないため、減圧継電器を省略していた(のちの高速運転で禍根となる。ブレーキ時衝撃が度々発生した)。

同様に付随車の機械ブレーキも踏面ブレーキながらレジン制輪子を用いたり後年ディスクブレーキを用いるなど、上述の通り減速度を高めにとることは留意されている。

後年の地下鉄直通車では一時傍系301系(アルミ車体)が製作されたもののコストから103系に戻っている。乗り入れ協定に基づく高加速を維持するほか、地下鉄線内で全車不動となった故障車編成を押し上げる必要から6M1Tまたは8M2Tの高いM車比率をとったほか、バーニア制御による超多段制御(通常力行20~25段程度の制御器を50段前後まで上げる(試作車910番台で55段)。流石に営団3000系のような77段まではとっていない)を用いている。

但し発電ブレーキのみの抵抗制御車であり、特に千代田線では乗り入れ相手が電機子チョッパ(営団6000系)・界磁チョッパ(小田急9000形)に比べただ電気を消費するのみで回生しないことから電気使用量・発熱量が大きく、車両使用料に比率をかけることで調整された。

国鉄末期に界磁添加励磁制御が実用化され、これを活用した営団5000系の冷房改造が営団地下鉄では実施されているが、国鉄では冷房と電機子チョッパを両方装備した203系への置き換えでなされたため103系について5000系レベルへの改良は一切なされていない。


集電装置

当時の国鉄標準型・PS16が基本である。地下鉄向けのみ剛体架線に対応するため、低離線率のPS21が装備されたが、これもPS16ベースのものである。

101系と異なり主制御器装備車(奇数形式)にパンタグラフが載る。

101系201系のような中央東線直通はなされなかったため、小断面トンネルに対応したPS23・24の装備や、屋根を切り下げた車両は作られていない。


車体塗装

101系に引き続きラインカラーが採用されたため各路線毎にカラフルに塗り分けされた。なお、首都圏では全てステンレス製車両に世代交代が完了しているが、この基本カラーは現在でも帯色として受け継がれている。

いちまるさん・よこ

この5色の基本カラー全てが同一系列内で揃った通勤形電車は、実は国鉄・JR通じてこの103系しか無い。

  • 実はもうちょっとでこのタイトルを失うところだった。というのも、103系にあって101系にないのは常磐線色だけなのだが、中央・総武緩行線、南武線、鶴見線の101系を常磐快速線の103系と入れ替える計画があったのである(性能特性を403系/415系とそろえる為)。しかしこの計画は実現しなかった。

入れ替えれば一応速度特性は近似するが、それでもギア比から定格速度に明確な差が残る上(45km/h と52.5km/h)403系・415系共々直流区間では113系の走行性能(出力・引張力)をもち、111系同等にとどまり能力不足な401系は80年代初頭から早急に淘汰されていた。民営化時点では動力車2ユニット、制御者を含めても合計14両だけになっている。ユニット数から余る6両は403系などへの混結か予備車である。

401系とて出力不足から大多数淘汰されたあとであるのに、101系をそのまま転属させたところで出力・引張力が不足するため、MT54系モーターへの換装など改造しないことには車両故障の頻発等、相当の難を抱えた可能性が高い。


1000・1200番代

1000番代・1200番代は地下鉄乗り入れ用である。急こう配の存在する地下線内の条件に合わせ編成組成は千代田線用1000番代は8M2T、有楽町線用1200番代は6M1Tという高出力編成とされ、トンネル側面に余裕のないため、火災時脱出用としての前面扉を設置。

塗装はライトグレーベースに千代田線乗り入れ用1000番代は緑帯、東西線乗り入れ用1200番代はカナリアイエロー帯としたもので、301系の余りの初期導入コストに1970年以降の乗り入れ車は103系ベースとすることとなったのだが、電力消費の多さ、抵抗制御ゆえの排熱量の多さ、非冷房などから乗り入れ各社の車輌と比べ見劣りするものであった(但し当時の千代田線内はトンネル冷房を用いる代わり車両の冷房はいずれも停止されていた。排熱を抑制したいためである)。

そのため、製造12年の1982年で千代田線用の1000番代は203系へと置き換えられ、冷房化の上でエメラルドグリーン単色塗りとなり地上線転用の他、一部は105系へと改造され西日本各地のローカルに流れて行った。残存車も1986年までに置き換えられ地上用に転用された。


一方1200番代は、冷房化後も継続使用され、東中野事故で205系が緩行線に導入された事を期に誤乗防止として東西線ラインカラーに近い青22号帯に変更。編成組成も組み換えで8M2Tへと改められた(不足分のT車は地上線車の改造で賄われ、トップナンバー3両は余剰となり常磐線へと転属後、早期に廃車となっている)

地下鉄トンネル内での排熱量抑制という観点からは営団5000系のような界磁添加励磁制御への改造が望ましかったが、冷房改造コストを最小限にするためこのような改造はなされていない。

組成変更で4M2Tの5両1本が予備車とされ、105系改造車同様、前面扉を貫通扉として利用できるように改造、他編成の検修時には5両単位で切り離し当編成と混組成するやり方で運用された。(301系と共通の予備車とされたため、混成時起動時の衝動に問題が残った。)

需給状態の関係から常磐線から1000番代10連1本が保安機器を積みかえたうえで転属して混用されている。

東西線では2003年まで運用された。


現状(2018年4月現在)

JR西日本

JR西日本では発足時には894両が承継され、延命工事や体質改善工事で車両の寿命を延ばしてきたが、2000年代後半より急速に淘汰が進み、2018年4月地点で残るのは僅かに80両程度。


かつては山陽地区にも進出していたが、105系への改造車を含めて既に全廃。2005年に起きた福知山線の脱線事故の影響で起きた一時的な車両不足からJR東日本より103系を購入し、運用したがこれも短期間で廃車された。


2017年に大阪環状線阪和線(本線)から、2018年に関西本線大和路線)・おおさか東線、阪和線羽衣支線から撤退。2018年3月ダイヤ改正以降は奈良線和田岬線加古川線播但線において運用されている。このうち奈良線では、阪和線で余剰となった205系が転入により、近い将来の撤退が見込まれる。

後述の通り、騒音が大きすぎ沿線公害となってしまい、国から名指しで騒音源とされ、後継車両への置き換えが求められているためである。


JR九州

JR九州では分割民営化時に103系1500番台が計54両継承された(一部中間車は先頭車に改造)。1983年3月の筑肥線電化にあわせて製造されたグループであり、103系を名乗っているが、実質201系203系と同時期に登場した比較的新しい車両である。


305系の投入によって2015年3月に地下鉄直通運用から撤退。現在は3両編成が末端部で活躍するのみである。


運用終了

JR東海

JR東海では発足時は7+3両編成7本計70両が承継され、スカイブルー(のちに東海色)をまとい中央本線(中央西線)名古屋口や関西本線で運用されていたが313系の投入により1999年までに定期運用を離脱し、2001年に全車廃車になった。一部車両はVVVF試験に使用されている。JR東海では唯一にして現状で最後の4扉車であった。

唯一、クモハ103-18が美濃太田車両区に保存(放置)されていたが、2014年に解体され現存しない。


JR東日本

JR東日本では発足時には首都圏を中心に2,418両が承継され、山手線・京浜東北線埼京線等各線で運用されていたが、205系、さらにJR東日本で設計・新製した新型車両への置換が急速に進められ、2006年常磐線から撤退したことにより首都圏から103系が消滅。2006年に仙石線で1編成が復活し2007年から朝ラッシュ時限定で運用に就いていたが、老朽化と205系への置き換えにより2009年10月21日を最後に撤退。これによりJR東日本管内から103系は完全に消滅した。これ以外にも、103系を改造した105系も仙石線で使用されていたが、1998年に103系に置き換えられ廃車となったが、その後は訓練車として2008年まで使用された。

埼京線は東北新幹線の横付けで新線が敷設された区間を中心に103系による騒音公害が多発。当初「騒音の元になる」とされた新幹線が110km/h程度ではほぼ無音であるのに対し、あまりにやかましいため205系(かつモーターを内扇形にした)車両の投入契機となった。

これは103系のMT55形モーターがトルクを得るため直径が元から大きく採られており(それゆえDT33は吊掛電車なみの910mm動輪となる)、それが最高許容回転数の4400rpm近くで回って冷却ファンの外端の速度が高すぎるものと推測される(動輪径が同じ小田急2400形(モーター径630mm)とモーターも同寸だと仮定し、モーター外径と同じサイズのファンが4400回転/分すると先端の速度は520km/h程度になる。多少小径としても400km/h台はある)。さらに主抵抗器も強制通風が基本であり、到るところで甲高いファンの回転音をばらまいていると言って過言ではない。MT61は更にモーター回転数が上がってはいるが、860mm動輪で足りる程度に直径も小さいほか主抵抗器も小型で冷却ファンを持たず(界磁添加励磁制御のため)、風切り音が抑えられるのであろう。新幹線や北海道向け在来線電車の様に強制冷却式にし、主電動機からファンを撤去することが抜本的解決策だが、205系等を含めそこまではなされなかった(現在の誘導モーター車もすべて自己通風形である)。

後に上述の通りJR西日本区間においても、公的機関から「103系」と名指しで騒音源呼ばわりされるほど、撒き散らしてきた騒音は大きい。


注目すべき車両達

(2016年4月現在)

クハ103-1

阪和線において長期にわたり運用されていた103系の量産車トップナンバー。なぜか廃車されない事実上の動態保存車だったが、2011年3月10日の夜に廃車回送された。1964年新製以来、実に46年半稼働したことになる。阪和線に転属してから廃車まで、クハ103-2と国鉄時代の京浜東北線以来のコンビを組んでいた。吹田総合車両所に保管されていたが、かつてのオレンジバーミリオンへと装いを改め、2015年3月に梅小路へと回送された。2016年4月29日に開館した京都鉄道博物館で保存展示されている。

因みに塗装は環状線時代に戻ったが、戸袋無しでJRマークが無い仕様となっている。

クハ103-713

鉄道博物館埼玉県さいたま市)で駅業務体験用として運転台側ほぼ半分が使用されている。2011年7月現在、まともに保存展示されている数少ない103系である。

クハ103-525、クモハ103-58

JR武蔵野線北府中駅近くの東芝府中事業所工場内に保存されている。派手な田園風景めいた塗装が窓ガラスにまで施されていたが、のちにオレンジ1色に塗り替えられた。「東芝府中」と書かれたオリジナルの行先表示幕をつけている。一般公開はされていないが、武蔵野線の列車内からその姿を見ることができる。この2両はVVVF化対応改造されていることでも有名だったが、クモハ103-58は解体されてしまったようで、現在はクハ103-525のみその姿を見ることができる。

クモハ103-110

大阪府立消防学校において、鉄道事故救出訓練用の施設として使用されている。塗装はスカイブルー。


注目されていたけどもう天に召された車両達

(2015年4月現在)

モハ103-502

ケヨ303編成の中間車だったが303編成廃車時に1両だけ廃車を免れVVVF化改造、駆動方式をDDMに改造されケヨ304編成に組込まれました。(サハ103-182は廃車)このためモハ103が2両続く特徴的な編成だった。

クハ103-150

國鐵廣島の愛の美学、ガムテープ塗装を施された車両であることを一部の人間は知っている。2008年頃に消滅した。

クハ103-821・828

広島運転所E-04編成。福知山線脱線事故にともなう車両不足を補う為、JR東日本から購入した元ケヨE38編成の先頭車。広島車だったが岡山へ流され2010年2月に紙製(?)のH21編成幕が掲げられる。だが、運用に入ることなく下関総合車両所へ回送され、6月に廃車解体された。

モハ103・102-29

現役最古(というか現存最古)だった103系モハユニット。岡山電車区所属だが広島支社からの借入車。2010年3月に定期運用を失い、同年末に廃車された。余談だが同僚のH19編成は定期運用離脱後もちゃっかり代走に入っていた模様。

クハ103-160・161、モハ103-239、モハ102-394

広島運転所B-09編成。現役の103系で戸袋窓が残る唯一の編成。2010年3月に定期運用を離脱し、翌年1月に廃車回送された。実は民営化時は非冷房でした。

クモハ103-48

広ヒロのD-01編成。先述のクモハ103-110亡き後唯一残った、0番台のクモハ103形。2012年末、ついに末期色塗装が執行されたが、227系投入で真っ先に姿を消した。


関連イラスト

103系JR稲荷駅


関連タグ

鉄道 電車 国電 通勤電車 日本国有鉄道国鉄

東武8000系:712両という製造数の多さから「私鉄の103系」と言われる。

関連リンク

ウィキペディア:国鉄103系電車

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