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海賊の編集履歴

2019-06-13 18:31:31 バージョン

海賊

かいぞく

海で強盗などの犯罪を行うもの。海上の盗賊。RPG等では職業(ジョブ)の一種。現在も一部の海域では海賊が跋扈している。

概要:一般的海賊イメージと現実の海賊

海上における略奪行為を生業とするのこと。古くはヴァイキング、近世・大航海時代におけるフランシス・ドレイクなどの私掠船が挙げられる。


最も有名なのは大航海時代のカリブ海の海賊たちだろう。ドクロの旗を掲げ、と武勇を好んだ豪傑たちというイメージがある。一種のロマンチシズムを匂わせる存在でもあり、たびたびフィクションの主役にもなる。pixivにおいても、こうしたイメージに基づいた豪奢な姿で描かれることが多い。


しかし、現実には専業海賊というものはなかなかおらず、漁民などの兼業や副業がむしろ普通である(普段は密輸に精を出し、略奪対象として手頃な相手を見つけたり、取引が不調になると海賊に変貌するわけである)。

果ては海軍までが副業として海賊行為に及んでいたとされる。上述の私掠船のように国家容認で敵国船舶を襲うように仕向けられた海賊も多い。

また、後述の歴史的経緯にあるように、近世の一定時期までは正規海軍よりも規律やモラルを重んじていたという史実も、海賊にまつわるロマンチックなイメージを増幅している。



歴史上の海賊

地中海の海賊

増田義郎(『図説海賊』)によると、記録における最古の海賊は古代史における「海の民」であり、バルカン半島エーゲ海から地中海に現れて沿岸部各地を襲った。続いてフェニキア人やギリシャ人が海賊として活動する。彼らは地中海を商圏とする商人であり、沿岸各地に植民してカルタゴ(フェニキア人)やマルセイユ(ギリシャ人)といった都市を建設し、そして海賊行為も行った。島嶼を拠点として自らの利益や家族を養うために守りの弱いポリスや村落を襲った。専業の海賊ばかりではなく、時と場合によっては商人たちや遠征に出かけた英雄たちまでもその武装にものを言わせて、財物から婦女子に至るまでを略奪した。やがてローマが台頭すると、彼らは自らに従わない諸国を海賊と呼んで激しい戦闘を繰り返した(増田義郎『図説海賊』)。


増田によれば、東ローマ帝国の衰退後、オスマン帝国が強大化してくると、これに従わないキリスト教徒たちがロードス島キプロス島等を拠点に海賊として活動し、エジプトからの食糧補給に頼るオスマンの輸送船を襲った。これを鎮圧したオスマン帝国の水軍はその多くが徴発されたギリシャ人であったが、その中からバルバロッサ(赤髭)と呼ばれる兄弟が台頭して活躍した。兄のウルージは小型船のレイス(船長のこと)から身を立てて、ハフス朝スルタンと契約して上納と引き換えにチュニスを拠点に西地中海のキリスト教徒船舶を襲った。後には当時西地中海各地を征していたスペインに対するアルジェの反乱に援軍として介入し、さらには反乱軍のアルジェ太守を殺して自らアルジェ太守となり、スペイン海軍も破ってマグリブ地方を征服した。ウルージは後にアルジェの民衆反乱とスペインの反撃により殺されるが、弟のハイルッディンが後継者となった。ハイルッディンはオスマン皇帝セリム一世と続くスレイマン一世に忠誠を誓ってその支援を得ると、バレアス諸島やスペイン東岸を襲い、財貨ばかりか多数の男女を誘拐して奴隷として売りさばいた。これに対しヴェネツィアやスペインなどのキリスト教徒諸国は、海賊としても活躍していたジェノバ提督アンドレア・ドーリア教皇と連合する。トルコ海軍の総帥となったハイルッディンは、プレヴェザの海戦でヴェネツィアやスペインなどのキリスト教徒連合艦隊を撤退させ、オスマン帝国は盛大に戦勝を祝っている(増田義郎『図説海賊』)。


北欧の海賊

増田義郎(『図説海賊』)によると、紀元789年のイングランド南西部のドーセットを三隻の帆船が襲ったのが、北欧の海賊・ヴァイキング来襲の最初の記録である。ヴァイキングとは本来スカンディナビア半島の商人であり、西南のローマ帝国から剣や金属を入手して毛皮や琥珀・奴隷等と交換し、東方のロシアを経てアッパース朝とも交易をして大量のアッパース朝銀貨を西ヨーロッパにもたらしていた。彼らが略奪、征服、定住化を活発化させた原因は、銀交易路を抑えるサーマン朝の独立によりアッパース朝から銀貨を入手できなくなったことにあるという。ヴァイキングの船は40人~60人もの乗員を載せられるも吃水が1メートル程度しかなく、外洋から河川に入って内陸の都市も容易に襲った。イングランド、スコットランドアイルランドフランク王国が次々と襲われ、1014年の侵攻をヨークの大司教は「神の怒りと同意を受けた海賊たちがイギリス人を絶望の淵に追いやった」と、この異教徒への恐怖を書き記している。しかしノルマンディーフランス王から与えられたころには、ヴァイキングも征服地に定住しフランス語を話す西欧人となっていった。ヴァイキングはまた、アイスランドグリーンランドにまで至って植民地を築いた偉大な航海者であった(増田義郎『図説海賊』)。


増田によれば、ヴァイキングの活動時代の終わりごろには、北欧は商業が活発化していた。毛皮、コムギ、チーズ、魚、木材といった日用品を中心とするこの交易圏は、なお続くスラブ人ゲルマン人の海賊の脅威に対処する必要に迫られた。こうして北欧諸都市が加入するハンザ同盟が成立し、数百の都市が同盟して海賊対策にかなりの成果をおさめた。しかしハンザ同盟の船が諸政治勢力との関係次第で海賊行為に走ることも珍しくなかった。シュテルドベーカー率いるエンブリューダーは、ハンザ同盟から敵に包囲されたストックホルムへの食糧供給を請け負ってこの名を得た。しかし後にエンブリューダーはハンザ同盟所属の船を襲撃する海賊団となり、シュテルドベーカーの処刑による壊滅まで沿岸住民の恐怖の的となった(増田義郎『図説海賊』)。


大航海時代の海賊、カリブの海賊

地中海でオスマン系とキリスト教徒の海賊が荒らしまわっていた頃、スペインとポルトガルはより安全な大西洋を経由した東方への貿易航路を開拓しようとした。大航海時代の始まりである。増田義郎(『図説海賊』)によると、その結果として発見された新大陸アメリカ大陸はスペインに莫大な金銀の生産地をもたらした。当時のヨーロッパではほとんど金銀は産出せず、このスペインによる新大陸からの金銀輸送船が垂涎の的となった。スペインと友好的でない諸国は国王や貴族の名において私掠船の免許状を発行し、スペインからすれば各国政府公認の海賊が金銀輸送船に襲い掛かった。スペインも港の防備を固め沿岸警備隊を強化したが、1568年にサン・ファン・デ・ウルーアで(その時点ではまだ食料を要求したに過ぎない)イギリス商船を襲って一隻を壊滅させ捕虜を火刑に処した事件はイギリス人を憤激させ私掠船の活動を劇化させる等、対立は激化していった。16世紀の私掠船としては特に、フランスフランソワ一世公認のジャン・アンゴイギリスエリザベス一世から支援を受けたフランシス・ドレイクらが活躍した。特にドレイクは、1577年以来南米各地で港や輸送船を襲いながら太平洋に出て、2年9ヶ月余をかけてマゼランに続く史上二度目の世界周航を成し遂げた。その収益は六十万ポンドに及んだという。続いて1588年にはスペインの無敵艦隊を破り(アルマダの海戦)、ドレイクはイギリスの海上での覇権をもたらすことになった。17世紀に入るとオランダの私掠船活動が活発化し、ビート・ハインが1626年に貴金属や香料を積んだ大型船九隻を拿捕した事件はスペインの輸送船団貿易そのものを存亡の危機に追い込んだ(増田義郎『図説海賊』)。

 増田によれば、私掠船活動の中心は、スペインの貿易航路に当たるカリブ海であった。イギリスはジャマイカ島を占領し、ポート・ロイヤル港は私掠船の一大根拠地となった。またトルトゥーガ島も私掠船の重要な根拠地となり、イギリス人、フランス人、オランダ人等の海賊が集まった。現地の住民はスペインの家畜の群れからはぐれて野生化した牛を木の網で焼き、海岸を通る船に売った。この木の網を「バッカニア」と呼んだが、転じてカリブ海の海賊たちも「バッカニア」と呼ぶようになった。スペインはいったんトルトゥーガ島を陥落させて捕えたバッカニアを全員縛り首にしたが、これを恨んだバッカニアの襲撃は獰猛を極めた。ほどなくトルトゥーガ島は奪還され、バッカニアはスペインの住民を捕えては男女子供を問わず拷問し、財宝の在りかを聞き出した上で乱暴・虐殺するなどその手口は凄惨になっていく。有名なバッカニアとしてはマラカイボ港等近辺の三つの街を陥落させたフランス生まれのフランソワ・ロロノアパナマを占領して廃墟としたイギリス出身のヘンリ・モーガンらがいる(増田義郎『図説海賊』)。

 増田によると、17世紀末にかけて、諸国がカリブ海に植民地を持つようになると、私掠船の活動はむしろ邪魔と見なされるようになってきた。18世紀に入ってイギリスは1721年に海賊取締法を成立させ、名だたる海賊たちは続々とイギリス海軍に捕えられ絞首刑となった。それまでの私掠船の船員たちはそのまま非公認の海賊となって活動を続けるケースが多かったが、次第にその活動は衰退していった。当時の海賊社会を調べてみると、意思決定は船員の多数決が多く、儲けも船員たちに配分され、また戦闘で負傷すると多額の補償金を得て再雇用の道も開かれる規定がみられた。当時の海軍や商船では船長の権力が絶対的で船員も港街にて誘拐同然の方法で集められるなど待遇は悪く、海賊に捕まった被害船の船員たちが海賊に雇用される事例も多かった。捕われた医師航海士といった特殊技能者は海賊への参加を強制されることもあったが、彼らの側も後に政府に捕まった時に備えて強制加入であることの証明書を要求した事例がしばしばみられる。特殊技能を持たず海賊への雇用を希望しない一般船員たちへの扱いは寛大で、希望する場所で降ろしてもらえるのが原則であったとのこと。海賊社会での掟破りは厳しく罰せられた。逃亡、臆病、掠奪品の個人的隠匿等には特に厳しく、銃殺されたり、岩礁に放置して餓死させるといった罰が普通であった(増田義郎『図説海賊』)。



日本における海賊

日本でも海賊は古代から存在し、時の権力の悩みの種だった。平安時代藤原純友瀬戸内海の海賊を討伐するはずが逆に海賊を率いて決起した。ただし、これらの海賊行為は必ずしも単なる無法行為ではなく、「寄船」「津料」「上乗」といった慣習によって正当化されていた(黒嶋敏『海の武士団』)。寄船とは、難破した船や水に濡れた積荷は漂着物とされ、地元の船乗りたちに処分権が与えられるという慣行であり、津料とは「置石」「勝載料」等とも呼ばれた港が船に課す入港料金である。また海域を通過するには「上乗」という水先案内人を雇って安全航行が保証された。津料を払わなければ、港にあれこれと口実を作られて船や積み荷を寄船とされて海賊に襲われ、上乗を雇わなければこれも海賊が襲ってくるのである。


鎌倉幕府は寛喜三年(1231)年の法令と翌年の御成敗式目で寄船や海賊を禁止し彼らを指揮下に治めようとしていく。しかし幕府に従う地頭たちも現地では寄船や海賊の慣習に手を染めており、幕末にかけて幕府に従わない悪党としての海賊の活動が活発化していった(黒嶋敏、同書)。黒嶋によれば、室町幕府はむしろこれら地方の海の勢力の活動を公認し、その慣習を利用して海上交通や交易の支配を狙った。幕府に従う守護が海賊たちを従え、日明貿易や国内の交易を警護させた。しかし、幕府と現地の守護の関係が悪化すれば、交易船は寄船や海賊の脅威にさらされることにもなった(黒嶋敏、同書)。かくして海賊は同時に船舶の護衛水先案内をする存在ともなり、「水軍」と呼ばれた。室町時代には東シナ海で「倭寇」と呼ばれる武装商人が広域に多数出没し、明朝朝鮮に経済的打撃を与えた。


戦国時代には、商船の性能が向上して頻繁に港に停泊せずとも持続航行が可能となり、地方の港が衰退して港を根城とする海賊に打撃を与えた(黒嶋敏、同書)。黒嶋によれば戦国大名たちは海賊禁止令を出すようになり、追い詰められた海賊たちは大名の水軍としての働きに活動の重点を移していき、後には天下人に海軍力として協力した。有名なのが毛利氏に従った村上水軍や織田信長に仕えた九鬼嘉隆である。海賊は近世にもいたが数はずっと減り、近代にはほとんど消滅。最後に確認されたのは終戦直後の混乱した占領期である。



現代の海賊

現在でも東シナ海南シナ海インド洋アフリカ近海で海賊行為が横行している。銃火器による武装化が充実し、最新の通信機器を装備した高速小型ボートによる少数で 大型船を襲撃している。

彼らにはやはり元漁民が多く、紛争自然環境の悪化による貧困が背景にある。苦しい生活の中では、海賊というのもリスクはあっても豊かな生活を得る選択肢たりえているのだ。

しかし、元漁民とは思えない高度な装備を持ち組織化されているなど、武装組織が資金稼ぎとして海賊行為を行っていると見られる例もある。一部では国際的テロ組織と通じた者も存在するようだ。

またエコテロリストと目される場合のあるシーシェパード捕鯨妨害行為もまた海賊行為の一つとみなされることがある。


なお国連海洋法条約では、公海上の海賊は旗国(その船の犯罪を取り締まる管轄国)が存在しない為、遭遇した艦船が国籍を問わず臨検、拿捕、逮捕、自国における海賊容疑者の訴追を行うことが認められている。同条約での海賊の定義は101条で公海における他の船舶若しくは航空機又はこれらの内にある若しくは財産に対して私有の船舶又は航空機の乗組員又は旅客が私的目的のために行うすべての不法な暴力行為、抑留又は略奪行為を海賊行為と定めており、

さらにこのような海賊行為をするという事実を知って船舶・航空機の運航に自発的に参加する行為、海賊行為の扇動・故意の助長も海賊行為に含まれるとしている。



ジョリー・ロジャー(海賊旗)

髑髏に交差した骨」が典型的な海賊旗マークであるが、実際には交差したであったり様々なバリエーションが存在する。


海賊を題材とした作品

…etc.


海賊である人物・キャラクター

実在の海賊

海賊をモチーフとしたキャラクター

特撮

アニメ

文学

漫画

ゲーム

その他

キャラクターのモチーフとしての扱い

おおかた船長の姿の者が多い。

関連タグ

職業 ファンタジー職業

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