概要
プロ野球パ・リーグの球団の一つ。福岡県全域を保護地域とする。
南海ホークス時代の中百舌鳥球場(堺市北区)や阪神甲子園球場を経て、1950年以降は大阪球場を本拠地としていた。福岡県移転以降の1989年から1992年まで平和台球場、1993年から福岡ドーム(福岡Yahoo! JAPANドーム→福岡 ヤフオク! ドーム)を本拠地としている。
交流戦には滅法強いのだがポストシーズンになると冗談のように弱くなるのが例であった(通称「秋の風物詩」)。しかし、2011年にそのジンクスをパ・リーグにおけるプレーオフ導入から7年目にしてついに破り日本一を達成した。
キーワード・歴史
南海軍の創立、古豪球団として
1938年に南海鉄道を親会社とする南海軍が結成。その年の秋季リーグから参加。
1939年に鶴岡一人が加入。鶴岡は一時応召でチームを抜けるも、南海草創期において重きをなす一人となる。戦前は次々と主力が戦地に応召されるなど苦戦を強いられるが、1941年には球団初の勝ち越しを決めるなど奮戦。1944年に近畿日本軍をと改称。
戦後は1946年、グレートリング(または近畿グレートリング。由来は大和を「大」と「和」に分けて「大」→おおきな、「和」→わ、に掛けて「大きな輪」→グレートリングとなった)として再出発。巨人との優勝争いを制し球団初優勝を決めた。
しかし、グレートリングというチーム名が性に関するスラングであったため、当時の米軍兵士たちにはこれがお下劣なニュアンスがとられたために、このチーム名を面白がって観戦に来たところ「グレートリング」という言葉を聞くたびに笑いが止まらなかったというので、1947年からは南海ホークスと改称(資料によっては「女性器」、「男性器」、「性行為」と複数の説がある。あくまで俗語であるため真説は不明であるが、チコちゃんに叱られる!では新たに「近畿」というのが「変態」という意味の英語「kinky」に発音が似ているからという説が誕生した)。山本一人(鶴岡から改姓)、柚木進、木塚忠助、中谷信夫らが主力として活躍した。
1950年代前半は一塁飯田徳治・二塁山本一人・三塁蔭山和夫・遊撃木塚忠助の「100万ドルの内野陣」を擁し1951年~1953年まで3連覇。しかし日本シリーズでは巨人に勝てず、後にチームカラーを機動力中心から長打力重視へシフトするも、その後はなかなか勝てなかった。
1954年に名捕手野村克也、1957年には稀代の名投手杉浦忠が入団。1950年代後半は南海にとっては新旧の過渡期にあたる時代となったが、1960年代にかけてはこの杉浦と野村を中心にパ・リーグを席巻していく。
1960年代の黄金時代と1970年代の野村選手兼任監督時代
1959年は大毎オリオンズとの争いの末見事優勝。日本シリーズでは杉浦の4連投で宿敵巨人を破り初の日本一。
その後野村、杉浦に加え広瀬叙功、ジョー・スタンカ、皆川睦雄らの活躍で1961年、1964年~1966年と4度の優勝。1964年には日本一に輝く。
1969年に門田博光が入団。1970年からは野村が選手兼任ながら監督に就任。1970年代前半は優勝ができないシーズンが続くも、1973年にリーグ優勝。これが南海としては最後となる優勝だった。
1975年には久しぶりのBクラスとなる5位に沈む。1976年は主力の野村やトム・ロブソン、新加入の江夏豊、1977年には山内新一、藤原満が不振や故障で離脱するなどして優勝争いに加われず。1977年オフに野村は監督を解任されロッテオリオンズに移籍する。
暗黒期、大阪の南海から福岡ダイエーへ
1978年に広瀬が監督に就任。野村時代からの払拭は試みるが就任初年度は最下位、翌1979年も5位と低迷。結局広瀬はAクラスに上がることなく解任され、後継にドン・ブレイザー、ついで穴吹義雄が就任した。
戦力面では1980年に「ドカベン」香川伸行が入団。主力には門田、新井宏昌、加藤英司らがいた。
ブレイザー、穴吹でもチームは立て直せず、さらに追い討ちをかけるように1985年開幕直前に三塁手レギュラーで1番打者の久保寺雄二が急死し戦力が低下。1986年に杉浦が監督に就任する。
1988年、南海はダイエーに球団を売却し本拠地も大阪府から福岡県へと移転。また、門田が九州行を嫌ってオリックス・ブレーブスへとトレードで移籍している。
1989年、球団名を福岡ダイエーホークスと改称。福岡としては西鉄ライオンズが移転して以来10年ぶりにプロ野球球団を迎えることとなった。
福岡移転初年度の1989年は4位。杉浦はこの年監督を勇退し、田淵幸一が後任監督に就任。
ダイエーになってからはトレードで復帰した門田を含め今井雄太郎、島田誠、池田親興、大野久、本原正治といったベテランが目立ったが、それとは別に若田部健一、吉永幸一郎、村田勝喜、佐々木誠、ブーマー・ウェルズら若手、新戦力も徐々に台頭していった。
1993年からは根本陸夫が指揮を執る。同時に本拠地を新しくできた福岡ドームに移す。オフにはドラフトで小久保裕紀を、トレードで佐々木ら3人を放出して秋山幸二、渡辺智男、内山智之を獲得している。
1994年は優勝争いに加わるが4位に終わる。松永浩美、ケビン・ライマー、ブライアン・トラックスラー、秋山といった実績ある選手と浜名千広、カズ山本、藤本、吉永らで重量打線を構成。投手陣は若田部、吉田豊彦、渡辺秀一らが活躍した。オフにドラフトで城島健司、FAで石毛宏典、工藤公康を獲得。新たに王貞治が監督に就任。
世界の王福岡へ、ダイハード打線
王政権初期はしばらくBクラスに上がれず、2年目の1996年には生卵事件も起こるなど、ファンからの目も厳しいものがあった。しかし、井口資仁、松中信彦、柴原洋らアマチュアの有力選手をドラフトで獲得したり、若手の城島、小久保、藤井将雄らの台頭で徐々に地力をつけていく。
一時は1998年のプロ野球脱税事件で小久保、渡辺、藤井らが離脱するが、柴原洋、井口らの活躍で穴を埋める。投手陣も武田一浩、吉田修司、西村龍次らが活躍、この年21年ぶりのAクラス(オリックスと同率の3位)に進出した。
1999年はFAで流出した武田の代わりに永井智浩、星野順治、篠原貴行らが台頭。福岡移転後初のリーグ優勝を決め、日本一にも輝く。翌2000年も連覇したがこの年は日本一は逃す。
2001年、2002年は2位。秋山が引退、若田部がFAで移籍した2003年はオープン戦で負傷した小久保がシーズンを棒に振るも川﨑宗則がその穴を埋め、さらにペドロ・バルデス、井口、松中、城島が100打点をたたき出すなど強力打線を形成。投手陣も和田毅、斉藤和巳、新垣渚らが好投し3年ぶりのリーグ優勝を飾り、日本シリーズでは阪神タイガースを破って日本一に輝くが、以降は日本シリーズから遠ざかる。そしてこの年のオフ、小久保が不可解な無償トレードで巨人へに移籍、多くの選手やファンの怒りを買う。
2004年はレギュラーシーズンを1位で終えたが、プレーオフで西武ライオンズに敗れて優勝を逃す。オフに21世紀に入ってから深刻な経営難に陥ったダイエーは球団をIT企業のソフトバンクへと身売り。チーム名を福岡ソフトバンクホークスとした。
ソフトバンクと「秋の風物詩」
2005年はレギュラーシーズンこそ1位で通過するもプレーオフで千葉ロッテに敗れる。また、城島健司がFAでMLBシアトル・マリナーズへ移籍。
2006年は3位。小久保が巨人から復帰し、リック・ガトームソンと多村仁志を獲得した。2007年は主力選手に故障が相次ぎ3位。2008年は12年ぶりの最下位に落ち込み、胃癌手術のためチームを離れた王貞治監督はシーズン後に勇退し、球団会長に就任する。
2009年からは秋山が指揮を執る。前年のドラフト5位で獲得した攝津正がリリーバーとしてチームを支え、新人王を取る活躍を見せるものの3位。
2010年は攝津に加えてブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩、甲藤啓介の「SBM48」(その他、途中から加わった森福允彦を反映した亜種もあり)と呼ばれた救援陣は奮戦。先発も杉内俊哉、和田らが踏ん張り優勝。クライマックスシリーズではまたしても千葉ロッテに敗れる。
黄金時代へ
2011年は新たに内川聖一、細川亨、アレックス・カブレラらを戦力に加え、攝津正が先発に転向し圧倒的な強さで完全優勝。鬼門だったクライマックスシリーズも7年目にして初めて勝ち抜き、中日との日本シリーズでも苦戦の末勝ち抜いて8年ぶりの日本一に輝いた。
2012年は打撃陣が不調で3位に終わる。オフに寺原隼人が復帰。他に五十嵐亮太、ブライアン・ラヘアらを獲得。
2013年は前年活躍した武田翔太や助っ人のビセンテ・パディーヤ、移籍の寺原ら期待された先発陣が摂津を除いて瓦解。打線は長谷川勇也らが奮闘したが、シーズンでは4位に終わった。
2014年はオリックスと壮絶な優勝争いを繰り広げ、シーズン最終戦にオリックスにサヨナラ勝ちしてパ・リーグ優勝(最終的なゲームは0)。クライマックスシリーズファイナルステージも最終戦までもつれた末に勝利し日本シリーズ進出。日本シリーズでは阪神に4勝1敗で勝利し3年ぶりに日本一に輝き、秋山監督の勇退に花を添えた。
工藤公康と常勝の若鷹軍団
2015年は監督に工藤公康を迎えた。大リーグから復帰した和田毅に加え武田翔太、千賀滉大、攝津正、中田賢一、途中から戦列に加わり9勝無敗という驚異的な成績を上げたリック・バンデンハークら豊富な投手陣、3割30本塁打30盗塁を成し遂げた柳田悠岐、三拍子揃った内川聖一、中村晃、大砲・松田宣浩、李大浩ら強力打線が機能してオールスター戦終了後より独走し、9月17日にパ・リーグ史上最速の優勝を決め、日本シリーズでは1敗はするものの、全体としては寄せつけることなくヤクルトスワローズを破った。
2016年は長年投手陣を支えた攝津正が不調で戦列を離れたものの、和田、武田、千賀、バンデンハークに加え東浜巨が成長。攻撃陣も李大浩が大リーグ挑戦のためチームを離れ、柳田悠岐も前年より成績を落としたものの、内川、中村晃、松田に加え長谷川勇也も復活して他チームを圧倒、リーグを独走する。しかし、最強のライバル・日本ハムは開幕ダッシュに失敗するも7月10日まで14連勝して勢いに乗り、「故障した大谷翔平を打者に専念させる」「不振にあえいでいたクローザー・増井浩俊を先発転向」といった采配が悉くハマり、最大11.5ゲーム差まで広げていたゲーム差を追いつかれたソフトバンクはマッチレースをくり広げた末、9月21・22日の対日本ハム戦に連敗、さらに勢いづかせしまい結果9月28日の西武戦で優勝を決められてしまう。
なおも日本シリーズ進出を目指して戦ったが、クライマックスシリーズにおいて日本ハムに敗れ、屈辱的な結果となってしまった。
捲土重来を期した2017年はシーズン始めに川崎が6年ぶりに復帰。打線では柳田が途中まで三冠王を狙える活躍をした他、ロッテから新加入のアルフレド・デスパイネが本塁打打点の二冠、上林誠知や甲斐拓也などが大きく成長、内川がオールスター明けに負傷離脱したものの穴を埋めて余りある打線が築かれた。投手陣でも和田が負傷離脱で中盤戦は抜けていたものの、バンデンハーク、千賀、東浜が二桁勝利。リリーフ陣も森唯斗、嘉弥真新也などがフル回転したが、何よりもデニス・サファテがシーズン最多セーブ記録を更新する活躍を見せ、90勝ペースで勝ち続ける楽天を同じく90勝ペースで猛追し、夏場に楽天が落ちてきた際も負けることなく首位に。
終わってみれば9月15日にリーグ優勝(パ史上最速)というシーズンになった。
CSでは2連敗からの3連勝で楽天を撃破。日本シリーズでは下克上で勝ち上がった横浜DeNAベイスターズの勢いを打ち砕き、2年ぶり8度目の日本一に輝いた。
球団創設80周年にあたる2018年は、前年大車輪の活躍を見せたサファテが離脱。しかし、森が37セーブを挙げて最多セーブのタイトルを獲得した。
レギュラーシーズンは西武に優勝を奪われての2位だったが、クライマックスシリーズではその西武を撃破。日本シリーズではセ・リーグ3連覇を達成した広島東洋カープに4勝2敗で勝利し、2年連続日本一を達成した。
2019年は怪我で昨年を棒に振っていたサファテの調子が戻らず、更にはオープン戦中に負傷した柳田悠岐の怪我が悪化。長期離脱を余儀なくされる。この他にも和田毅、岩嵜翔、石川柊太、バンデンハークらが怪我、更には中村晃が重度の自律神経失調で今シーズン絶望と開幕前に主力が続々と離脱。
開幕前から不安視されていたが、いざシーズンが開幕すると、開幕戦では千賀滉大が自己最高速の161km/hを記録し、シーズン終盤にはノーヒットノーランも記録した。更にオープン戦で活躍した川原弘之、周東佑京ら育成上がりの選手が台頭。怪我で空いた選手の穴を埋める活躍を見せ、昨年のポストシーズンで活躍を見せたジュリスベル・グラシアルやアンダースローの高橋礼らも活躍を見せ、徐々に開幕前の不安は払拭されていった。
前半戦は首位で折り返したが、後半戦は徐々に失速。秋頃の怪我の癒えた主力が復活し、なんとか混戦状態に持ち込むものの、力及ばず優勝は去年に引き続き西武に明け渡す結果となった。
しかし、クライマックスシリーズではファーストステージ第一戦でこそ敗北を喫するものの、以降は連勝に連勝を重ね、セカンドステージではアドバンテージ分を除けば無傷の4連勝で日本シリーズに進出。また、クライマックスシリーズ分を含めると(ファーストステージ分を除く)西武に年間通算勝率でも上回ることとなった。
日本シリーズではこれまで幾度となく同シリーズで苦杯を嘗めさせられてきた巨人。南海時代からの通算成績は24勝37敗1分、実はこれまで10回対決しながらも、南海・鶴岡一人監督時代の1959年のただ一度を除いて、日本シリーズでは巨人に勝ち越したことが無かった。直近のON対決でも、先に2連勝しながら4連敗を喫している。
しかし、近年の交流戦などでは順調に巨人から白星を重ね苦手意識を完全に払拭したか、第一試合から一つも落とすことなく勝利を重ね、奇しくも60年前と同じ4連勝で、念願の巨人に勝っての日本一を達成。また、クライマックスシリーズと合わせて10連勝を達成。球団初の日本シリーズ三連覇を成し遂げた。
pixivでは
タグはホークス、ソフトバンク、ソフトバンクホークスなどに分散される。なお、「ソフトバンク」だとホークス以外のイラストも入ってくる。
選手一覧
(2019年11月11日現在)
監督・コーチ
一軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
81 | 工藤公康 | 監督 |
86 | 森浩之 | ヘッドコーチ |
92 | 森山良二 | 投手コーチ |
98 | 高村祐 | 投手コーチ |
91 | 佐久本昌広 | 投手コーチ |
83 | 立花義家 | 打撃コーチ |
78 | 平石洋介 | 打撃兼野手総合コーチ |
80 | 本多雄一 | 内野守備走塁コーチ |
93 | 村松有人 | 外野守備走塁コーチ |
95 | 吉鶴憲治 | バッテリーコーチ |
二軍
背番号 | 名前 | 役職 |
---|---|---|
71 | 小川一夫 | 監督 |
94 | 倉野信次 | 投手統括コーチ |
84 | 久保康生 | 投手コーチ |
82 | 田之上慶三郎 | 投手コーチ |
77 | 新井宏昌 | 投手コーチ |
75 | 大道典良 | 打撃コーチ |
74 | 松山秀明 | 内野守備走塁コーチ |
87 | 井出竜也 | 外野守備走塁コーチ |
85 | 的山哲也 | バッテリーコーチ |
三軍
過去に所属した選手
※太字は2019年10月時点で故人
藤井将雄(故人・チーム在籍中に亡くなったため、「背番号15」は現在準欠番となっている。また、ヤフオク!ドームの15番ゲートは通称藤井ゲートと呼ばれている)
山本和範(カズ山本)
余談
現在の球団歌『いざゆけ若鷹軍団』は福岡県民が愛してやまない名曲である。
元々はダイエー時代に作られた応援歌で、歌詞は公募により選ばれたものを一部修正したもの。これとは別に球団歌も存在していたが、ダイエー店舗で流れていたこともあり圧倒的に『若鷹軍団』の方が有名だった。
そして球団売却の際にファンである財界の大物達が孫正義オーナーの前でこの歌を熱唱し存続を嘆願したことで歌詞の「ダイエー」を「ソフトバンク」に差し替え存続させることが決まり、同時に球団歌へ昇格したという経緯がある。
ちなみに「わかたか」といっても同時期に活躍していた彼らとは関係ない。
九州移転30周年にあたる2019年にはファンを公言し九州にゆかりのある著名人達によるこの曲のリレー歌唱動画が作成され、スタジアムでも流されることになった。
前々身にあたる南海ホークス時代から背番号90が2015年シーズン終了まで欠番となっていたが、2016年から封印を解かれ、現在、ロベルト・スアレス投手がつけている。
これは水島新司氏の代表作である「あぶさん」の主人公・景浦安武外野手の漫画内における功績を讃えて行われた、実に珍しいケースであり、2009年をもって景浦選手が引退したおりには、同年10月8日、福岡Yahoo!JAPANドームに水島氏を招いて盛大な引退セレモニーが行われた。
同じ福岡を本拠地とするアビスパ福岡は「福岡の生き恥」「粗大ゴミ」などと呼んで蔑み、馬鹿にしている。一部関係者からは「早く解散しろ」との声も。
ファンを公言する著名人
内田真礼:Pixivユーザーにとって、最も有名なホークスファン。日帰りで福岡ドーム観戦に行ったり、仕事中の合間や移動などでもパ・リーグTVでチェックを入れるガチ勢。
上地雄輔:元々は埼玉西武ライオンズファンであったが、これは高校時代の後輩である松坂大輔が所属していた為で、彼のホークス移籍を機にホークスファンに鞍替え。
阪口大助:南海・ダイエー時代からの古参ファン。
藤田咲:ダイエー時代からのファン。ファンになったきっかけは小学生時代に父が阪神、母と長兄が巨人、次兄が広島を応援と家族で抗争が勃発したためどうするか迷っていた際にズームイン朝で暗黒時代だったダイエーの存在を知りリーグが違えば抗争はないと考えたため。