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金剛型戦艦の編集履歴

2014-03-08 22:22:11 バージョン

金剛型戦艦

こんごうがたせんかん

金剛型戦艦とは、大日本帝国海軍が有していた超弩級巡洋戦艦(のちに戦艦へと変更)の艦級である。

ここでは史実での金剛型戦艦について取り上げる。

艦隊これくしょんの金剛型はこちらへ。


概要

金剛型戦艦は、海外(イギリス)で設計・建造された最後の日本主力艦である。

太平洋戦争時には最古参艦でありながらも、30ノットの快速を利して機動部隊護衛などに活躍し、戦艦の中で最も戦果を上げた。

戦記などでは「高速戦艦」と呼ばれることも多い。


解説

1906年、イギリス海軍により従来の主力艦を軒並み“時代遅れ”としてしまう革命的戦艦ドレッドノートが建造され、ド級戦艦時代が始まる。1908年には、そのドレッドノートに並ぶ戦闘力を持つ超装甲巡洋艦インヴィンシブルが建造され、新たに巡洋戦艦のカテゴリーが誕生した(ちなみにこれによってイギリス主力艦隊も“時代遅れ”になってしまった。さすが英国面)。


これは日本の国産新鋭装甲巡洋艦・戦艦も“時代遅れ”にしてしまうという事態も招き、これにより日本独自の技術だけではド級戦艦・巡洋戦艦時代の建艦競争に生き残れないことが明らかとなった。

そこで日本海軍としては英国の進んだ建艦技術を学ぶべく主力艦建造を英国ヴィッカース社に発注することとなった。これが1番艦「金剛」である。

ちなみに設計はヴィッカース社の軍艦設計部長ジョージ・E・サーストン卿により詳細設計が進められていた、オスマン帝国海軍向けの戦艦レシャド5世(のちに接収され英国戦艦エリンとなる)の設計を基に巡洋戦艦化することで行われた。当時英海軍最新鋭にして世界最大最強の巡洋戦艦であったライオン級巡洋戦艦を基に行われたとする説は誤りである。


追って、金剛の図面と英国から取り寄せたパーツによって横須賀海軍工廠で2番艦「比叡」を建造。3番艦「榛名」は神戸川崎造船所、4番艦「霧島」は三菱長崎造船所へと主力艦建造の初の民間委託という形で建造が進められた。

35.6cm45口径連装砲塔4基と15.2cm副砲16門を備えつつも27.5ノットもの快速を誇った金剛型は、アメリカ海軍で初めて35.6cm砲を装備した戦艦ニューヨークよりもロールアウトが早かったため、誕生時にはまさに世界最強・最速の巡洋戦艦であった。

このように、金剛型はド級戦艦の30.5センチ砲を凌ぐ口径の砲を装備した日本初の軍艦であるため、巡洋戦艦を戦艦に含むならば、日本初の超ド級戦艦と言うことになる(含まないならば、扶桑型が日本初)。


その後は4隻揃って第一次世界大戦と第二次世界大戦に参加。金剛は、巡戦時代も含め、連合艦隊旗艦も数度めている。

その間、それぞれ一回ずつ改修されており、第一次改修では問題だった装甲関係を(改修前でも十分な防御力はあったが)強化し、代償として速力が25ノットまで低下してしまう。この時に巡洋戦艦という艦種は廃止され、書類上、金剛型は改めて「戦艦」に分類された。

第二次改修ではロンドン海軍軍縮条約の満了と脱退によって制約の無い改修が可能となり、最新技術を取り入れたことにより低下してしまった速力を初期より速い30ノットまで上げることに成功した。


WW2当時、大日本帝国海軍では戦艦としても、実戦的軍艦としても最古参、世界的に見ても相当な旧型艦であったのだが、同じく高速戦艦の異名をとっていた長門型をも大きく上回る俊足は、当時戦艦に求められていた役割以上の可能性を持っていた。

国の軍事力を象徴する存在でありながら航空戦の時代の到来と共に出番を失っていった戦艦というカテゴリにあって、金剛型高速戦艦はその足の速さから作戦行動の幅が広く、空母機動部隊に随伴することが可能であった(つまり空母の護衛に巡洋艦クラスではなく戦艦をつけられる)ことなどから、最古参の艦でありながら、日本海軍の他戦艦と比べても活躍の場は多かった。


特に戦争が進み敵航空基地を砲撃粉砕することが陸軍により求められた当初、巡洋艦・駆逐艦を主体とした作戦を実行していた海軍だったが、敵艦隊との遭遇戦が起きたり、砲撃に成功しても大きなダメージを与えられず早期に復旧されてしまうため、戦艦の大口径砲による撃砕が必要となった。その際、敵航空機の広い索敵範囲の外から侵入して砲撃、さらに敵攻撃圏外への撤退を一晩で行える速度が求められ、高速の金剛型に白羽の矢が立ったのである。

このヘンダーソン基地艦砲射撃は一度は成功に終わるものの、陸軍側の不手際により再度攻撃を敢行することとなり、その結果、第三次ソロモン海戦が勃発し、比叡・霧島を喪失した。

この後の戦いにも、残る金剛、榛名は参加しており、皮肉なことに、日本海軍で最も古い4隻の戦艦が、最も活躍するという事態となった。


また当時の日米両軍共有の「空母機動部隊により制空権を掌握、のち有利な状況下で戦艦が砲撃戦を行う」という戦術が、空母機動部隊に随伴できる金剛型戦艦が存在することで「航空戦の段階で戦艦が出てきて、巡洋艦程度の護衛戦力しかいない空母機動部隊が壊滅的損害を受ける」というアメリカ側に非常に不利なものになってしまう。逆にアメリカの形勢有利で事が進んだ場合,当然追撃戦が起こるが金剛型と砲火を交えようとすると「戦艦ならば逃げられる,巡洋艦なら返り討ちに合う」とい事態になり、まともに戦える艦がいない。

かの有名な高速戦艦アイオワ級が開発される契機となったのは日本などが建造していた新型戦艦の存在だが、これらの理由から金剛型の存在が影響を及ぼしたという説も存在している(むしろ大和型の対抗馬は次のモンタナ級と言われている)。


金剛型よりも足の速い戦艦はドイツ軍などにもあったのだが、そのほとんどが巡洋戦艦で金剛型ほどの火力を兼ね備えた艦はおらず、先述のアイオワ級にしても、最大速度では主砲が撃てないため高速性をフルに活かせない弱点が存在、さらには「実は米軍がちょっとスペックを水増ししており本当は30ノット出なかった」説まで飛び出している。


そしていかなる装甲も意味を成さないレベルの攻撃力偏重となった現代では、戦艦という存在そのものが今後建造される見込みがない。

もしかすると金剛型戦艦は、世界最速の戦艦として永遠に君臨する存在……なのかもしれない。


ただしアイオワ級そして戦艦の名誉のために言っておくと、アイオワ級4姉妹の三女ミズーリと四女ウィスコンシン1991年に湾岸戦争に参加しており、対するイラク軍は重装甲を持つ両艦に対する術を持たず、『大艦巨砲主義ここに健在』を示している。アメリカ海軍が戦艦の保有をあきらめた主たる理由は“ソ連が崩壊したことによりコストに合わなくなったから”であり、戦艦不要と断言した米海軍高官は後にも先にもウィリアム・F・ハルゼー1人だけである。そのハルゼーですら、レイテ沖で日本艦隊に嵌められたことを知ったときには「明確な意図を持って進む水上艦を航空攻撃のみで阻止するのは不可能」と言っているのだ……

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