概要
ほぼ独学で音楽を学ぶ。少年時代にアイヌの人々と接し、彼らの生活・文化に大きな影響を受けた。そのため、彼の作曲する楽曲も日本の伝統音楽の影響が散見される。ただ、当時は西洋音楽と比べて日本の伝統音楽に対する評価は相応に低かったため、周囲から理解を得られなかったことも多く、かなり苦労したのだそうだ。
1935年、作曲した「日本狂詩曲」が世界的に認められ、作曲家としてのキャリアをスタートさせた。
戦中は管弦楽曲や協奏曲などの作曲に携わっていたが、戦後はそれらと並行して映画の楽曲も手掛けるようになった。
特に、1954年に公開された『ゴジラ』は、同作の大ヒットもあり、伊福部の名を世間一般に広く知らしめることとなった。その後も東宝特撮との関係は続き、1996年の『ゴジラVSデストロイア』まで数多くの楽曲を世に送り出した。1983年には東宝特撮で使用された楽曲をまとめたメドレー「SF交響ファンタジー」を発表している。
また、特撮映画以外にも数多くの作品で作曲を担当し、日本の音楽界をけん引し続けた。
2006年、多臓器不全のため東京都目黒区の病院で死去。享年91。
余談
- 2014年は伊福部昭の生誕100周年の節目の年であり、数々のイベントが企画されている。また2014年は、奇しくも自身が楽曲を手掛けたゴジラの生誕60周年の年とも重なっている。
- 甥に工学者の伊福部達が、大甥に放送作家・脚本家・ミュージシャンの伊福部崇がいる。