ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

酒井忠次の編集履歴

2014-03-23 10:35:40 バージョン

酒井忠次

さかいただつぐ

徳川家康に仕えた武将。

生涯

大永7年(1527年)~慶長元年(1596年)

松平家に古くから仕えてきた譜代家臣・酒井忠親の次男として生まれた。幼名は子平次や小五郎。元服後は徳川家康の父・松平広忠に仕え、家康が今川義元の元に人質として送られるとともに付いていった。この頃から家康に使え、家康家臣の中でも最古参となった。

桶狭間の戦いから各合戦に参戦して、家康から厚い信頼を受けた。武田勝頼長篠の戦いでも武田軍の背後を着いて城を陥落させ、織田信長から「背に目を持つごとし」と賞賛された。松平信康が武田家に密通してた疑いが起こった時も、信長の安土城に赴いて弁解に努めた。

本能寺の変直後でも明智光秀討伐の先陣を務め、甲斐信濃諏訪などの空白地帯の懐柔に当たった。

天正16年(1588年)に長男の家次に家督を譲って隠居。豊臣秀吉から京都桜井の屋敷を与えられ、晩年を過ごした。


徳川四天王に数えられるほど家康の重臣として活躍したが、あまり人気は高くなく、地味ではあっても幼い頃より確実に徳川家発展に貢献した努力家である。

特技が踊り「海老すくい」。どのようなものかは現在では不明だが、諸将の前で披露してその場を盛り上げた。


関連タグ

戦国時代 戦国武将 徳川家康 徳川四天王

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました