1977年11月に誕生した。
もともとダイハツはコンパーノという自主開発の小型乗用車の生産・販売を行っていた。しかし1967年にトヨタ自動車と提携したのを機に小型乗用車の自主開発を断念、生産を請け負う羽目になったパブリカを、「コンソルテ」とか言う、イタリア語で「提携」という意味の、いかにも売る気のない名前をつけて売ったのだった。
その後1974年に、独自のボディと内装を持つシャルマンを誕生させたものの、これとてトヨタからシャーシを恵んでもらってやっと成立した代物だった。もちろんダイハツがこんなもんに満足するわけがなく、さらに軽四乗用車自体が全く売れない時代だったこともあり、完全自主開発の小型乗用車の開発が急がれた。それが形になったのが初代だった、というわけである。
フェローMAX譲りのFF・5ドアを採用したが、「5平米カー」という、スペース効率をアピールしたコンセプトと、この車のためにわざわざ開発した4サイクル3気筒1000CCエンジンは、まさにダイハツの持てる力をこれでもかこれでもかと注ぎ込んだ物であった。その甲斐あってダイハツの乗用車史上最大のヒット作となった。なお、3気筒エンジンそのものは後に軽自動車で続々採用されるようになったし、ダイハツの3気筒1000CCエンジンもまた、トヨタのヴィッツやパッソにも採用されている。
ダイハツのまじめさが現れた車ではあったが、途中で追加された3ドアハッチバックは、リアウィンドウがやや特殊な形状をしていたため、「3ドアクーペ」と名乗っていた。フェローMAXに2ドアハードトップが設定されていたので、その流れで設定したのかもしれないが・・・・・・。
1983年1月に2代目にスイッチ。初代に比べるとやや角張ったデザインとなった一方、1000CCなのにディーゼルエンジンだったり、イタリアの自動車メーカーのデ・トマソのアドバイスを受けたターボエンジンがあったりと、妙にエンジンに力を入れたモデルだった。特にディーゼルエンジンに関しては、「やたら震えるしうるさい」という欠点をあえて「凄いビートだぜ、Rock'n ディーゼル」という表現でボケ倒した。また、世界ラリー選手権・グループB用として、わざわざ926ccに落とした上でチューニングを行った)926ターボなる特別仕様車を、わずか200台生産した。
1987年1月に3台目に移行。「どうせ後ろの席使わねーだろおまいら」と言いたげに、ルーフのリアをやや下げたデザインが特徴だった。エンジンは1000CC(ガソリン・ディーゼル)のほか、途中で1300CC(ガソリンのみ)が追加された。また1989年4月には4ドアセダンのソシアルを設定した。
1993年4月にケニアで行われたサファリラリーでは、出場した3台がすべて完走、さらに5-7位入賞を果たした。
1993年1月に4代目が登場。ただ1000CCが全面的に廃止されてしまったため、スターレットやマーチ、あるいはコルサ・ターセルなどといったライバルに比べると存在感が薄くなってしまった感は否定できない。その分歴代にあったブッ飛んだ要素はなくなり、あらゆる意味でまともな車になりはした。
1000CCエンジン搭載のストーリア登場などにより2000年5月に消滅した。
なお、ミラの海外仕様車の中にはこのシャレードを名乗った物が存在するほか、2代目ヤリスのダイハツ仕様車としてヨーロッパで販売されたが、この「5代目」シャレードの販売打ち切りを持って、ダイハツはヨーロッパから撤退した。