概要
前史・フェロー
ミゼットやハイゼットで軽自動車界での地位を確立したダイハツ工業が満を持して1966年に市場に送り込んだ。ラインナップはセダンとバンのほか、ハイゼットからスライドしたピックアップが存在した。
4輪独立懸架や角形ヘッドライトを採用(特に角形ヘッドライトは日本車初の試みだった)するという先進性を見せる一方、当時としてはオーソドックスなFR(フロントエンジン・リアドライブ)方式をとっている。また、ハイゼット用の2ストローク空冷エンジンを水冷化したエンジンを搭載した。
ただ、本田技研工業が廉価で高出力なN360をリリースし、それがバカ売れしてしまったため、ミゼットのような大ヒットとまでは至らなかった。
モデル末期の1970年4月には関東地方・東海三県・近畿地方南部・中国地方南部・四国地方・九州地方において100台限定で、ピックアップをベースとしたフェローバギィが発売された。
フェローMAX
1970年4月に製造・販売はスタート。4輪独立懸架はそのままに、駆動方式をFF(フロントエンジン・フロントドライブ)に切り替えた。セダンは2ボックススタイルに変更、ピックアップは廃止されている。
軽自動車のハイパワー化の時代の影響を受け、最大出力40馬力のエンジンを積んだ高性能グレード・SSが1970年7月に追加設定された。さらに1971年8月にはハードトップを追加している。
ただ、軽自動車に対する車検制度導入(1973年10月から)やオイルショック、排気ガス規制の影響もあってか、徐々に売れ行きは悪化、1976年5月に(当時の)新規格車である4ストローク・550ccエンジン搭載車を設定した一方で、ハードトップを廃止した。なお、この4ストローク・550ccエンジンはAB型という名称であり、ほんの一時期ではあるがスズキにもフロンテ7-S用に供給された。
MAXクオーレに改名、そして終焉
新規格エンジンを搭載したとはいえ、550ccモデルはバンパーを伸ばしたのみで、根本的な改良が望まれたものの、完全自主開発の乗用車・シャレードに追われていたうえ、軽乗用車の需要が回復しなかったこともあってか、そこまで手が回らなかった、というのが正直な話であった。
そんな中1977年7月に登場したのがMAXクオーレだった。ただこれはフェローMAXの車幅を広げ、フロント周りをいじり、改名した程度に過ぎなかった。
3年後の1980年7月にクオーレ/ミラクオーレへのモデルチェンジに伴い製造・販売は打ち切られ、約10年の歴史に幕は下りた。