ダイハツ・ミゼット
だいはつみぜっと
Midgetは英語で「超小型のもの」という意味の単語で、小型な車という想いを込めて名付けられた。
販売戦略も、その軽便性を売りとする「街のヘリコプター」なるユニークなキャッチフレーズ、楠トシエの歌うコマーシャルソング「みんみんミゼット」など個性的であった。当時ダイハツがスポンサーとなっていたコメディドラマ「やりくりアパート」の生CMに、ドラマの主役である大村崑を起用、番組終わりのCM枠では毎回、大村がギャグ混じりで両手を扇形に広げるアクションとともに「ミゼット! ミゼット!」と連呼したテレビCM等のの拡販策は大当たりとなり、ミゼットは一躍ベストセラーとなり、以後大手・中堅のオート三輪メーカー各社はミゼットに追随して軽オート三輪に続々参入し、この軽オート三輪ブームは1960年頃まで続いた。ミゼットは唯一1972年1月まで長期にわたって販売され、本格的な軽オート三輪としては日本で最後まで作られたモデルとなった。
生産終了後も乗用車のスバル360とともに1960年代を代表する車種として知られており(特にMP4型以降のモデル)、日本の高度成長期を描いた作品(『ALWAYS 三丁目の夕日』など)にも劇中車として登場するなど、一般大衆からも人気・知名度は高い。
1996年(平成8年)4月には、当車のコンセプトを受け継いだ、4輪のミゼットⅡが発売された(2001年6月に販売終了)。
DK/DS型
1957年8月1日発売開始。通称「バーハンドルミゼット」。特徴は単座のバーハンドルという最低限の仕様で、キャビンは前面風防こそあれど屋根と背面は幌であり、ドアも付いていなかった。車両寸法は全長2,540 mm、全幅1,200 mm、全高1,500 mm。乗車定員1名。
MP型
通称「丸ハンドルミゼット」。1959年(昭和34年)4月に北米向け(現地名:Daihatsu Tri-Mobile)、および、当時米国の統治下にあった沖縄向けの各種左ハンドル仕様のMPA型として先行発売され同年10月よりMPA型の意匠はそのままに右ハンドル仕様に改めた日本国内向けのMP2型として発売を開始した。特徴は嘴の形状を連想させるノーズ部分と一体化されたキャビンであり、DK・DS型と比べてスタイリッシュになった。ドアが装着され、ルーフはMPA型からMP4/MP4L型までは幌が用いられていたが、MP5/MP5L型以降からは鋼板製のクローズド・ルーフとなった。ハンドルはDK・DS型のバーハンドルから丸ハンドルへと変更され、さらに運転がしやすくなった。
軽自動車の分野でも市場の主流は、3輪のミゼットから4輪のハイゼットに移行・統合し、1971年12月を以って最後の受注分の生産を全て完了し、1972年(昭和47年)1月31日を以って販売を終了した。同社としては最後のオート三輪となり、製造終了までに国内向け仕様が317,152台が、輸出仕様が19,382台がそれぞれ生産されたが、この当時米国の統治下にあった沖縄にも左ハンドル仕様としてごく少数が輸出されたほか、輸出仕様全体の約半分が東南アジア方面に輸出された。その中でもタイには大量に輸出され、その大部分が「トゥクトゥク」と呼ばれるタクシーとして運用されていた