旧日本海軍の青葉型重巡洋艦1番艦。艦名は福井県高浜町に所在する青葉山に由来する。
太平洋戦争では珊瑚海海戦、第一次ソロモン海戦、レイテ沖海戦などに参加。
1944年10月にルソン島西方で米潜水艦の雷撃を受け大破。応急修理後かろうじて呉に帰港できたが、損傷がひどく、修理の見込みが立たないため放置されていた。
1945年3月にアメリカ軍による爆撃が開始されると、青葉も防空砲台として奮戦した。しかし、7月24日に命中弾1至近弾1、28日に命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断。艦内が海水で満水となり、大破着底した。つまり2回も大破した艦である。
結局そのままの状態で終戦を迎え、1946年11月より播磨造船の手により解体された。
1942年2月には海軍従軍作家海野十三が乗艦し、将兵の生活を従軍記にまとめている。