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80形の編集履歴

2015-01-25 13:48:18 バージョン

80形

はちじゅうがた

ここでは京阪80形について記載

曖昧さ回避

概要

京津線沿線の住宅開発に伴い増大した旅客需要への対処と老朽化した各駅停車用の車両置換え用に1961年にデビュー。メーカーからの搬入は現在の京阪本線京橋駅近くにあった片町駅の引き込み線から京阪の線路へ搬入し、60形びわこ号に牽引されて三条駅の連絡線を経由して搬入された。

特徴

この車両は路面電車サイズの吊り掛け駆動でありながらも回生ブレーキを装備し、定速制御も可能、各駅停車として運行中も後発の急行列車から終着駅の三条、待避線のある四宮まで逃げ切る事ができる、必要に応じて急行列車や準急列車にも運用できるという当時の新性能電車を凌駕する破格の高性能を実現した。


なお吊り掛け駆動を採用したのは併用軌道区間の敷石区間で異物を巻き込んで高価なモーターや駆動系が損傷する恐れがあったこと、低床・カルダン駆動・急行運用も可能な走行性能の両立を図るには主電動機の絶縁種別向上等によるコンパクト化が必要で、その製造・保守コストが過大という事情があったためである。

運用

主に京津線の各駅停車として運行されたが、運用上の都合から準急や急行にも使われることがあった。しかし長年各駅停車主体で運行されていたために乗客が各駅停車と勘違いして誤乗したり、乗務員が本来通過する停留所に誤って停車したりとトラブルが絶えなかった。

改造

落成時にトロリーポールを装備していた車両があったが、当初からパンタグラフへの交換を考慮しており、1970年にトロリーポールからパンタグラフへ交換されている。この時取り付け高さを稼ぐために太いパイプの上にパンタグラフを取り付けている。


単行運転が可能なように両運転台で落成した車両があったが1970年から72年にかけて2両固定編成化改造を行い、全車両が2両固定編成となった。


1989年より冷房化改造が行われた。この時既に京都市営地下鉄東西線への相互乗り入れ開始に伴い80形の廃車は決定していたが、夏期の旅客サービス向上のために冷房化を実施することとなった。なお廃車後80形の冷房装置は石山坂本線用の600形の冷房装置の更新時に再利用されている。

廃車

1997年10月、京都市営地下鉄東西線開通に伴い、京津線と石山坂本線の架線電圧が1500Vへ昇圧されることとなり、600Vにまでしか対応できず地下鉄への乗り入れも出来ない80形は全車廃車となった。廃車後は旧九条山駅や旧京津三条駅などに分散して留置された後解体処分となったが2両が浜大津駅近くの側線に5年近く留置された後、錦郡車庫で1両が完全な形態で、もう1両がカットボディとして保存されている。


なお廃車に際し福井鉄道ブラジルから旧型車の置換え用として譲渡の話が持ち上がったが、橋梁耐荷重超過、特殊な機構を備える電装品の保守困難、廃車時期と補助金申請のタイミングが合致しなかったことなどの不幸が重なり、譲渡が実現することはなかった。

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