「供給者」のはじまり
ことの発端は1948年、アメリカ空軍が新型の強襲グライダーを求めたことから始まった。
そこで応募したのがチェイス・エアクラフト社のXGC-20(GC-20)だったのだが、テスト飛行の結果「着陸性能が要求基準以下である」と判定され、発注は中止。以降は強襲グライダーという分野そのものにも興味を無くしてしまった。
そこで考えられたのが、このグライダーを動力化し、いっそ輸送機として仕立てようという考えである。開発はフェアチャイルド社が引き継ぎ、さっそくXC-123・XC-123Aという2種類の試作機が完成した。
ジェット?レシプロ?
XC-123とXC-123A、この2種類の機にどんな違いがあるのか。
それはそれぞれレシプロエンジンとジェットエンジンを搭載していたという点である。
XC-123はP-47やF4U、またはF6Fで実績のあるP&W社のR2800エンジンを双発で、
XC-123Aは当時最新鋭だった爆撃機、B-47のエンジンナセルをそのまま移植した4発機である。
だがXC-123Aは燃費の悪いジェットエンジンを、しかも4基も搭載していたため燃費が悪く、おまけに高価になりすぎる(エンジン代:レシプロエンジン2基<ターボジェットエンジン4基)事が問題とされて選考からは漏れてしまった。
それにひきかえ、ウケの良かったのがXC-123である。
こちらはさっそく先行量産機5機が発注され、「C-123B」と制式番号が与えられた。
実際の生産は1953年10月、フェアチャイルド社によって293機の生産契約がなされてからとなる。
「戦場の運び屋」
扱いなれたレシプロエンジン、優れた積載力により、現場からは好評をもって受け入れられた。
とくにR2800エンジンは実績があり、そのうえ扱いなれたエンジンとあって整備員からは好評、また搭乗員にも同社の前作(C-119)よりも一回り小さいのに積載力は同等と、これまた便利で扱いよい機材として迎えられた。
1956年には境界層制御(BLC)を取り入れて離着陸性能の向上を狙ったYC-123Dや、
または離着水ができるようにフロートを追加した「輸送水上機」YC-123Eが開発されている。
BLCを取り入れ、さらに大出力のエンジン(B-29やA-1、P-2と同系のエンジン)を導入して改良したYC-134も開発されたが、いずれも不採用とされてしまった。
C-123シリーズの決定版となったのは、主翼に増加燃料タンクや補助ジェットエンジンを追加したC-123Kである。このジェットエンジンはF-5にも装備されたエンジンでもあり、安価だが出力は大幅に増やすことができた。
銀幕にも「プロバイド」
このC-123は映画でもよく活躍している。
「007 リビング・デイライツ」(1987)では、ネクロスとの空中での格闘シーン空撮用に使われている。
(ちらりと映る後部胴体の形状や、ネクロスが落ちるシーンでは機体の平面形もわかる)
「エア☆アメリカ」(1990)ではラオスで暗躍するCIA非公式部隊の機として登場した。
他にもピタラスPC-6も活躍しており、C-123とともに重要な役割を果たしている。
PC-6は現在も生産中。
他にも「コン・エアー」(1997)で重要な舞台装置として登場しており、終盤にラスベガスに突入するなど派手な活躍を見せている。