京急本線の駅。かつての急行停車駅。
概要
神奈川県横浜市神奈川区子安通一丁目にある駅。神奈川新町駅とは切っても切れない腐れ縁を持つ。
島式ホーム2面4線を有する駅だが、優等種別は一切停車しない。
かつてはこの駅も特急の停車駅だったのだが、神奈川新町駅に新町検車区が新設されたことで急行停車駅に格下げされた不遇な駅。さらにその後急行が廃止になり普通のみの停車駅となった。
そして2010年にエアポート急行が新設されたが、なんとそのエアポート急行は当駅を通過する種別だった・・・。2面4線という優良なホームを持っている駅なのに特急どころか急行にすら見放された駅。不遇を通り越してもはや不憫な駅である。特急停車駅の座を奪ってさらに急行の停車駅からも外され、さらには乗客も大幅に減ったのは全て神奈川新町が悪いんだよ・・・。
とはいえ、今となっては子安駅の一日平均乗降人数は京急全72駅中第62位。京急の中では10番目に利用客の少ない駅である。もし子安駅が急行停車駅に選ばれてたら生麦駅周辺住民が怒っていただろう。
戦慄の縦列待避(下り)
現在は回送列車の待避ぐらいにしか使われていない海側の1番線下り待避ホームだが、1964年にはそこで普通と急行が縦列に待避して特急を待ち合わせるという、いわゆる縦列待避が行われていた。
ここで問題なのは、急行は一度当駅を素通りし、バックしてから待避線に入るということである。普通・急行・特急の順に入線して、特急・急行・普通の順番で発車するための策だからしょうがないとはいえ、10分毎に行うのは正気の沙汰ではない。
高度成長期で猛烈に増加する乗客を3~4両という短編成で捌くため、普通・急行・特急の待ち合わせを10分で3本こなすという、ルール無用の残虐ダイヤが常態化していた最中の出来事であった。
なお翌年に完成した神奈川新町駅の2面4線化拡張工事&特急停車駅委譲によって、この異常事態は収束された。
戦慄の同時入線(上り)
では山側の4番線はというと、こちらは現在も現役の営業待避線である。三線区間については神奈川新町の記事でも詳細に触れられているが、副本線は神奈川新町の4番線ホームから当駅4番線ホームに直結しており、普通車が副本線をトコトコ進むのを掠めて快特が猛スピードで追い越してゆく。決して広くない上、急カーブ中に配置されている当駅で、背中を快特が駆け抜ける中、広く空いた足元に気を付けながら普通車の乗降を行うのは中々ハイレベルである。
なお子安駅の先ですぐに合流して普通の複線に戻るため、もし万が一普通車がオーバーランすると、ヘビー級の800形が並走通過中の2100形を撥ね飛ばし、それが対向の下り車両に突っ込むという鶴見事故級の惨事を起こしかねない。したがって今も昔も、副本線はATSでガチガチに固められている。
その他
- 当駅は近隣の子安三兄弟の長兄。開業したのは子安(1905)・京急新子安(1910)・JR新子安(1943)の順番である。
- 近年になって神奈川新町が出しゃばっているが、浦島太郎伝説の所縁により近いのは当駅であり、史跡が数多く存在する。
- 当駅に接続する京浜国道の交差点名は「京浜子安駅入口」。京急子安でも京浜新子安でもなく、なんかいろいろ混ざっている。
- 横浜有数の規模を誇る大口通商店街の南端部分と地下トンネルで結ばれており、特急駅であった当駅は玄関口として重要な交通経路であった。