概要
エルベ特別攻撃隊、エルベ特攻隊とも。
ハヨ・ヘルマン大佐が日本の神風特攻隊の影響を受け、ドイツ空軍で編成された特攻隊である。最後の手段として劇的な戦法を試みようと考案された。
しかし、ヘルマン・ゲーリングやアドルフ・ヒトラーはこの戦法に否定的で、最終的に承認こそしたもののゲーリングは「(自殺を前提にするのは)ゲルマン的な戦い方ではない」と語った。
ヒトラーも作戦の承認には「命令に基づくものではなく、あくまで自由意志で行われるべきである」と強調した。
志願者は1944年末から1945年初頭にかけて募った。部隊に残った志願者の多くは訓練途中の若い飛行士であり、実戦経験あるものはごく僅かであった。
神風特攻隊とは異なり、脱出用の射出座席は残されていて、衝突の直前に脱出することで生還することができる。
それでも隊員の90%は死ぬと予測されていた。
また、隊員にはあらかじめ遺書を用意することが認められた。
1945年4月7日にアメリカ軍はドイツ本土爆撃を行う。
ドイツ空軍は各地から部隊を出撃させて迎撃を試み。ゾルダーコマンド・エルベもこれに参加した。
だが実際の所、体当たりに成功したのはごくわずかで大半は撃墜、もしくは機体の故障で不時着を余儀なくされた。
特攻機から脱出した隊員の多くは落下傘で降下している際中をアメリカ軍戦闘機からの銃撃に晒され、部隊に戻ったのはわずか15人のみだった。
結果から言えば空襲を阻止することとはできなかった。その効果を疑問視されたことにより4月17日に解散となる。