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経歴編集

1915年8月5日、マンハイムに生まれる。

1939年の第二次世界大戦勃発の折には第2戦闘航空団第1飛行隊第2中隊の少尉であった。

1940年7月に中尉に昇進して第1飛行隊第3中隊長に就任、8月には大尉に昇進し、第1飛行隊長に就任し、10月には少佐に昇進し、第27戦闘航空団司令と短期間のうちにスピード出世を遂げるも、愛着があり、尊敬するマンフリート・フォン・リヒトホーフェンの名を冠する第2戦闘航空団に残して貰う事をヘルマン・ゲーリング元帥に直訴して第2戦闘航空団司令に就任する。ドイツ空軍最年少の少佐にして戦闘航空団司令であった。

11月28日、56機目の撃墜を果たすもワイト島南方で下方からの敵機の攻撃を受け撃墜され、部下は彼がパラシュートで海上に脱出したのを確認したが、その後の懸命な捜索にもかかわらずヴィックは発見されず戦死とされた。

この時点では彼の撃墜数はアドルフ・ガーランドヴェルナー・メルダースを抜いてドイツ空軍トップの成績であり、彼の戦死を恐れたゲーリングにより出撃禁止の厳命が送られたが、その命令が届いたのはヴィックが最後の出撃に飛び立った後の事であった。


逸話編集

日誌に子供の頃から憧れたリヒトホーフェンの名を冠する戦闘航空団の司令となった事を喜び、出来るうえで多くの敵を道連れとして戦いの中で死ぬ事が望みだと綴ったという。


激情家であり、第3航空艦隊司令官フーゴ・シュぺルレ大将がヴィックの部隊を閲兵した折に、整備員の身なりが見苦しいと指摘すると、整備員が毎日必死で機体の修理、燃料・弾薬の補充・搭載をしてくれるので我々は戦い続ける事が出来るのにその作業よりも理髪のような瑣末な事が重要とお考えですか、という内容を述べて食ってかかったという。

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