概要
1876年以降、朝鮮王朝は大日本帝国や欧米各国と不平等条約を締結。
これにより国論が二分。大陸(清朝)との冊封体制を護持しようと主張する事大党(保守)と一国家として近代化を推す開化党(革新)との勢力争いが1882年に壬午事変として勃発。
対岸の日清両国が介入。2年後の戦争に発展する。
翌年、日本の勝利により下関条約が締結、清に対し朝鮮が自主独立国であることを認めさせた。
ロシア公使館に逃れていた高宗(朝鮮王)も戻り、国号を大韓と改めて皇帝に即位した。
しかし、中身は相変わらずの体で、近代化を進めていた開化党の独立協会は皇帝や親露派と結んだ事大党に潰され、1904年の日露戦争開戦時には皇帝が再びロシア公使館に隠遁。日本に敵対姿勢をとった。
翌年、日露戦争終結を受け米英露の三国に同意をとりつけ、韓国統監府が置かれた。
これは事実上、世界的に朝鮮半島が日本の保護下であることを公認した条約といえる。
さらに、ハーグ密使事件や伊藤博文(初代韓国統監)の暗殺事件が勃発。
1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約が調印され、29日に裁可公布して発効。
ここに大韓帝国は消滅。韓国統監→朝鮮総督の下で36年に渡り統治を受けることとなった。
現在の大韓民国は、この大韓帝国を継承する体制を自称している。