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榎本喜八の編集履歴

2015-06-20 07:26:00 バージョン

榎本喜八

えのもときはち

榎本喜八とは、千葉ロッテマリーンズの前身球団毎日オリオンズに所属していた元プロ野球選手。一塁手。左投左打。

概要


1936年12月5日生まれ。東京都中野区出身。


1955年に毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)にテスト生として入団。高卒選手ながら一軍でプレーし、5番・ファーストとしてレギュラーを獲得した。


バットの芯で正確に球を捉え、打球するさまから「安打製造機」の異名を持っていた稀代の天才打者。


1960年には首位打者のタイトルを獲得。オリオンズの主力選手として同年、リーグ優勝を果たした。1968年には2000本安打を達成している。これは川上哲治山内一弘(チームメイトだった時期がある。また、山内がオリオンズを「追い出され」てからも仲が良かった)に次いで3人目だった。


1972年に西鉄ライオンズ(現在の埼玉西武ライオンズ)にトレード移籍したが、代打での出場に減り、同年に現役を引退。


打者としての輝かしい栄光の一方で、かなりファンキーでアナーキーな行動をやらかしまくったことでも悪名高かった。どれだけひどかったかはWikipediaの該当項目をどうぞ。もっともそのイカれた行動は、良くも悪くも野球バカであった事の裏返しではあったようだ。そして現役引退後は球界から距離を置き(というか置かざるをえなくなった、というべきか?)、アパート・駐車場経営で糊口をしのいだという。


2012年に死去。

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